有限会社 三九出版 - 還暦盛春駆ける夢    いつまでも 明るい笑顔で 元気良く


















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還暦盛春駆ける夢
               いつまでも 明るい笑顔で 元気良く
                         永嶋 智子(東京都多摩市)

 「はい,はい」と,安請け合いする悪い癖がまた出てしまった。
 生来の作文嫌いの私が,また原稿用紙を前に頭を抱えている。“還暦の夢”と言われたけれど,この歳になって「夢」と言われても,毎日通る団地の入り口の横にある小さな芝生の中で,ぶつぶつ独り言を言いながら草をむしっている姿しか浮かんでこない。確かに,草だらけで,芝を探すのが難しいような草むらを緑の芝生にするのは,でっかい夢には違いないが,「そんな夢?しかないの」と笑われそうなので,これはしまっておこう。
 今,私は,地域でディサービスの仕事をしている。この仕事にたどり着くまでの時間は長かったが,高齢者介護は私の長年の夢だったのかもしれない。
 この仕事を始めるきっかけは,羽田澄子先生のオーストラリアの介護事情のドキュメンタリー映画だった。寝たきりの女性に対して24時間体制でさまざまな支援の様子が撮られていた。私の目をひいたのは,たくさんのボランティアの支援を受ける,女性の笑顔が輝いていたことだった。特に毎日の食事がたくさんのメニューの中から本人の希望で選べ,どれもおいしそうだった。最後まで自分の好きなものが食べられるのは幸せだと思った。私が介護を受ける側になった時,日本でも同じようなシステムが整っていて欲しい。その思いで,家庭料理の店「ろーるきゃべつ」を友人たちと立ち上げた。初めは食堂だったが宅配弁当に変えて,一人暮らしの高齢者にも配食できるようにした。しかし利用者の好みに合わせ,温かくておいしい食事を,安い代金で届けるのは,行政の支援がなければ難しく,個人の力では思うようにできなかった。
 そのうちに,日本でも介護保険事業が始まっていた。
 聴覚障害のある友人に手話のできるヘルパー養成講座の受講を勧められ,忙しい弁当屋の合間に通った。講義はほとんど記憶に残っていないが,実習に行った老人ホームで,若くて献身的な介護士達と元気がなく抜け殻のような入所者にあった時,人生の終末がこんなに寂しく,悲しそうなのはつらかった。一生懸命生きてこられた方々にはもっと輝いて幸せになって欲しかった。
 私はすぐに社会福祉の仕事をしている友人に,地域に元気の出るような施設をつくるにはどうしたらいいかを相談してみた。何人かで話し合いを重ねていったが,経験も知識も資金も何もない私には,簡単にはできなかった。
 何年か経って,施設づくりもすっかり忘れていた時,停年になったその友人が訪ねてきて,「ディサービス」をやらないかともちかけてきた。弁当屋も20数年続けて,体力的にも気力も,もうこれでいいかなと思っていた時だったので,私自身介護を受ける年齢に近いのに,深く考えずに「そうだね。いいね」と簡単に同意してしまった。
 今振り返ってみると,この挑戦は無謀だったと後悔することが多い。介護の仕事は夢や思いつきで成功するほど甘くない。何度も挫折しそうになり,その都度たくさんの方に助けて頂いた。ストレスで血圧が上がり,眠れなくなったため,降下剤を飲み始めた。そんな悪戦苦闘の4年間であったが,「いつまでも明るい笑顔で元気よく」と掲げたモットーは私自身をも励ましてくれた。講演会や講習会で勉強もさせてもらった。この頃では,運営も落ち着いてきて従業員の退職にも慌てずに対応できるようになった.
 ディサービス「ろーるきゃべつ」は今,20名余の登録者がいる一番小さな規模の施設である。それでも,経歴も現況も様々な人達なので個々の対応には気を遣う。
 91歳で背筋をのばして,しゃきっとしているYさんは,お迎えに行く度に「意気地がなくてすみません」と謝る。「こんなに立派に生きてきて“意気地がない”なんてことはないわよ。これからは頑張り過ぎないでのんびり楽しみましょう!」と励まし続けると,「お休みしたい」という電話がなくなった。また,結婚以来続けているというぬか床のぬか漬を毎週持ってきてくださったOさん。人参,大根,きゅうり,どれも塩梅がよく,とても美味しかった。カレーの作り方も教えて頂いた。市販のルーを使わず,大量の煮干しのだし汁とカレー粉を使い,野菜のたっぷり入ったカレーはさっぱりしていて良かった。「孫に好評なのよ」と自慢なさっているが,手本にしたい先輩である。仕事を通じてたくさんの素晴らしい方々と知り合えた。戦前,戦後の混乱期を清々と生きてこられた方々が残された人生を豊かに笑顔で過ごして頂けるように,私たちにできることは,彼らの生きてきた証を引き継ぐことではないかと思う。
 今の私の夢は,やっぱり,芝生の草取りかな? 誰にも迷惑をかけず,精一杯動いて,ほんのちょっとでも誰かに喜んでもらう,それでいいかな。
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