有限会社 三九出版 - 私と「詩吟」との出会い


















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        『私と「詩吟」との出会い』

          齊藤 宏(宮城県仙台市)

 詩吟の恩師が一番強調された事は,習い初めから,最後の練習の日まで,一貫していた。どんなに技巧に走っても,聴く人に感動を与えられない。作者の作詞時の,時代背景,立場,状況把握を,完全に理解して吟じて,初めて,最良の吟になるの一点張りだった。細かい一言一句にはあまり拘掘らず,詩の雰囲気を,一番大切にされた。
 先生は,3教室を指導されていた。平成21年12月17日21時,21年度の最後の教室の練習を終え,生徒皆に見送られ,上機嫌で,次年の再会を約され,帰宅された。翌朝,床の中で,不起の人となって発見された。83歳の誕生日の直前だった。
 正味4年間,私は,真面目すぎる程真面目な先生に,命をかけて,最後の力を振り絞った教えを受ける事が出来,幸せだった。私の入会時,既に,週3回人工透析を続けられ,足腰は弱られ,杖を手放せず,靴の履き替えもヤットの状態で,タクシーを利用されていた。しかしひとたび発声が始まると,腹の底から,体全体から発せられる,重厚な吟声には驚かされた。先生にとって,私達との練習が生き甲斐だった。
 私は,4年間で教本1冊の漢詩170作を,一通り教えていただいた。教え方のスピードは,10名以上の,どの先生にお聞きしても,驚異的な速さだった。
 私は,全く偶然に,突然に,詩吟に出会った。平成17年10月,近くの市民センター祭りで初めて恩師の詩吟を聞き,漢詩の内容を知り,電気に触れたような衝撃と感動を受け,早速11月から生徒となった。68歳の秋である。西郷南洲が西南戦争に敗け,ヤット故郷に帰り,辞世の句と言われている漢詩。その迸(ほとばし)る吟声に圧倒され,入会した。恩師には,詩吟という文化を全く知らずに飛び込んだ私を,4年間辛抱強くご指導いただいた。私は今年正月,裏山の山頂で教本1冊分を120分カセットテープ4本に収め,先生への記念品として密かに霊前に,初彼岸の生花を添えてご報告した。
 詩吟のお陰で幕末と維新の歴史に興味を持ち,当時の群像達が如何に純粋に国家の為に若き血を滾(たぎ)らせ活動し,日本を変えたかも知った。感謝を込めて吟じている。
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