有限会社 三九出版 - 謙虚に,心にゆとりを


















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                 謙虚に,心にゆとりを

                           阿部 一久(東京都板橋区)

 「男,七十代の使命」原稿募集の知らせを見てペンを執ってみたものの,「使命」というものを語るには少々おこがましさを感じる。これを勝手に解釈し,「こう有りたい」程度に書き替えることをお許し願いたい。と言うのも,あく迄私の場合であるが,年と共に衰え行くものは,髪の毛と使命感,そして感受性,記憶力……と自認しているからに他ならない。結論から申せば,「謙虚で有りたい」「心にゆとりを持ちたい」と言ったところか。この二つ,現役を退いても数年は身に着いていたが,七十ともなるといつの間にか失われていることに思わずハッとする。人は皆,老いるにつれて気短かになり,謙虚さを失い横柄になる。これがギスギス社会を助長している誘因と言っても過言では有るまい。そこで,これ迄見聞した事に材を借りてみる。
 我々の青春時代,万人憧れの大スター裕次郎の日活食堂での一場面。当時の若手俳優・渡 哲也だったと思うが,食事中の裕次郎に緊張の面持で挨拶に行った。大スターはスクッと立ち上がり深々と頭を下げ,「石原裕次郎です。宜しく」と丁寧に応対したそうな。後輩に対して,こんなにも丁寧に接してくれ,痛く感激し敬服したと聞く。実る程,頭を垂れる裕次郎の礼儀正しく謙虚な一面ではある。これに引き替え,上から目線の兄慎太郎,いま少し弟のこの謙虚さが備わっていればなァと惜しまれる気がする。
 いま一つは,「心のゆとり」というものを,盲人女性に学んだひとコマ。
 山手線の車内,ひとりの盲人女性が,白杖を頼りに探るように歩を進めていると,「ウロチョロしてねぇで家に引込んでいろ」と無作法者が,耳を疑う暴言を吐いた。これに対し彼女は,「私が,貴方に何かご迷惑をお掛けしたのならお詫びします。すみません。」穏やかであるが,しっかりした口調の言葉を残し,次の駅で下車した。何という謙虚で心美しいひと言であろうか。
 近時折にふれ,これらの事を思い起こしては,こう有りたいと願いながらも,俄か仕立てには中々難しい。反省のみに留まらず「老いる(・・・)交換(・・)」の為にも日々心して行かねばと思う七十代の今日この頃である。


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