有限会社 三九出版 - ベストセラーとは?


















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                    ベストセラーとは?
                            松井 洋治(東京都府中市)

 去る6月3日,日本出版販売から「2013年度上半期(2012.12.1〜2013.5.31)のベストセラー」が発表され,4月12日の発売から僅か1週間で100万部以上を売ったという『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹著・文藝春秋社刊)が1位にランキングされていた。
 “出版不況”と言われる中,この本の発売当日は,深夜から書店の前に出来た行列をテレビ・ニュースで流すほどの「お祭り騒ぎ」で,通常10時の開店を,早朝7時からに変更して,特別販売を行った店もあったという。
 ここ数年来, 毎年,「ノーベル文学賞」の候補にも名前が上がるほどの村上春樹作品を,まだ一度も読んだことがない人間に,とやかく批判する資格はない…といわれればそれまでだが,極めて奇異に感じたのは,決して私だけではないはず。
新しいパソコンやゲームソフトの発売ならまだしも,文藝春秋社の編集者以外は,まだ誰も読んだこともないはずの本が,なぜ,発売と同時に数十万部も売れ,1週間で100万部を超すことができるのか。
 奇異に感じたというより,むしろ「素朴な疑問」である。一度でも村上春樹の作品を読んだことのある人ならば,彼の作品でさえあれば,どんなものでも,誰よりも先に読んでみたくなるというのだろうか。もしそうだとすれば,これ以上あれこれ批判めいたことを書いてみても,所詮「ごまめの歯ぎしり」なのかもしれないが,私の腹の虫は収まらない。
 屁理屈と言われかねないが,手元の数冊の英和辞典によれば,「ベストセラー」(Best
Seller)の第一義的な意味は「最も優秀な売り手、最優秀セールスマン」であり,それが転じて,「最も多く売れている商品(特に書籍など)をいう」…とある。
ところで,以前少し関わったことのある某・有名出版社の編集長は「小説が売れるかどうかは,中身よりも,題名(の奇抜さ)と,帯(別名「腰巻」)の書き方次第ですよ」と明言した。
 それを思えば,今回の題名も,多分「巡礼の年」だけでは駄目で,「色彩を(中略)と、彼の巡礼の年」(読点=「、」を入れた文字数にして20文字)と,とても一度では覚えきれない長ったらしいものになった(されてしまった?)に違いない。
 島崎藤村,森鷗外,夏目漱石や芥川龍之介などを引き合いに出すのは時代錯誤かもしれないが,この四人の作品の中で「長い題名」として思い出されるのは,藤村では『櫻の實の熟する時』,鷗外は『興津弥五右衛門の遺書』,漱石は『吾輩は猫である』,芥川は『きりしとほろ上人伝』くらいのもので,鷗外のそれが10文字で最長である。
 ひょっとしたら著者本人の意向かもしれないが,小説の題名が20文字…などというのも,私には「そのことだけで,既に話題になる」のを見越したベストセールスマンの作戦(計算)としか思えないし,「色彩を持たない」人間というのも,「何の特徴もない」とか「個性の全く感じられない」程度の意味かなとも思うが,分からない。「だからこそ、読んでみなさいよ!」という“ニタリ顔”の編集者の声が聞こえる気がする。
 以前,「韋編三絶」(いへんさんぜつ)という「本がバラバラになるくらい愛読する」ことを意味する中国・易経の言葉を引用しながら,当『本物語』第33号(2011.4.20)に『「愛読書」とは「再読したくなる本」のことか』という駄文を寄せたことがあり,その中で「世の中の大半の本は,“一見(いちげん)の読者”しか持っていないと言えそうだ」と書いたが,今も,その考えは変わっていない。
 確かに,小説家にしろ,詩人にしろ,文学だけで生計を立てることは難しいに違いない。売れなければ話にならない。だから,「どんな批判があろうとも,売れさえすればいい,どんな売り方をしようと勝手で,余計なことを言われたくない」というのかもしれない。「筆は一本、箸は二本」という言葉もあるくらいだから。
しかし,フランスの詩人ポール・ヴァレリーの言葉に「千人の人に、一度読まれるより、一人の人に千度読まれる詩を書きたい」というのがある。
 また,顔も名前も忘れてしまったが,ある男性シンガーソングライターが言った「ひと一人の心を打てば、それだけでもう立派な名曲だ」という言葉も思い出される。
 100万人の人が,ベストセールスマンの思惑にまんまとハマって,深夜から行列してまで買ったにもかかわらず,一度読んだら,あの「ハリーポッター」と同じように,さっさと古本屋に売りに行くのだろうか。ヴァレリーやシンガーソングライターのような,「ひたむきさ」の感じられる作品に出会える日を,静かに待ちたい。




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