有限会社 三九出版 - 風 呂 当 番


















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《自由広場》                 風 呂 当 番

                           原田 健作(神奈川県秦野市)

 父のことを書こうとすると,真っ先に思い浮かぶのが,奇妙なことに風呂場である。
 父は,こよなく風呂を愛し,こよなく酒を愛した。しかし家族風呂以外に銭湯や温泉の愛好者であったかどうかは,定かではない。サラリーマン時代,毎日欠かさず,家の風呂に入り,休日になると,自分で風呂掃除をし,掃除が終わるとひと風呂浴びて気持ち良くなったところで一杯やるのが,無上の楽しみであった。休日には一日に何回も入浴するのが常であった。
 65歳で会社勤めが終わったのを機に家を建て替え,母と二人で暮らした。当然のことながら風呂が新しくなったのも自慢の種になった。浴室はタイル張り,浴槽はステンレス製で,当時としては,なかなかの代物であったと思う。家事は殆ど何もやらない父だが風呂だけは別で,新しい風呂に対する執着は見事であった。掃除することも沸かすことも母に任せることは殆どなかった。自分で掃除した後,沸かした風呂に入ると心身爽快で酒も一段とうまかったのだろう。父は電気剃刀がどんなに流行っても使ったことがない。髯は風呂に入った時,普通の剃刀で剃るものと決めていて,誰からも影響されなかった。私は学生時代から一人だけ実家(兵庫県姫路市)を離れ,関東で暮らしていたので,年に何度も帰省出来なかったが,帰ると必ず,父が,風呂を沸かして一番風呂に入れてくれた。父の客に対する最高のもてなしは,一番風呂に入れ,酒を振舞うことであった。私は関東に住んでいるのと帰省頻度が少なかったため父親から最高のもてなしを受けていたのだ。そのくせ父が風呂掃除をしている時は,楽しみを奪ってはいけないと一切手伝わなかった。ある帰省の時,ふと洗面所から風呂場を覗くと,父が咥え煙草で鼻歌交じりに浴槽の掃除をしていた。念入りにスポンジで磨き,終わったら水を張って,沸かすのだ。そう言えば,いつも浴槽もタイルの壁もピカピカに磨き上げられていた。風呂場は父にとって神聖な場所であり,他の部屋とは隔絶された空間であった。風呂釜は旧式のプロパンガスの風呂釜で,浴槽の壁に操作盤があり,左側にあるレバーを一旦右側へ回し,ひと呼吸おいて左へ素早く戻すとポッと音がして種火からメインバーナーに点火する仕組みだ。母がやると力が足りないのか,力の配分が悪いのか,点火しない。レバーを右から左へ戻す正確な間合いの取り方と微妙な力加減が要求される風呂釜であった。父のレバー操作には独特のリズムと滑らかさがあり,百発百中で点火した。父は長身で,母はどちらかというと背の低い方だ。昔の浴槽は深いので,手足の長い長身の人間でないと掃除は楽ではない。父の方が母より風呂掃除に向いた体型であったから風呂当番が父の専任になったのは当然の成り行きであった。当時の風呂は沸いたら自動的に種火に切り替わる風呂ではないため,父はメインバーナーに点火したらほんの少しの間,茶の間に戻るだけで,しばらくするとまた風呂場へ行き,湯加減を見るためそこに張り付くのである。入浴に適した温度になるまで,殆ど付きっきりに近い作業を嬉々としてやっているように私の眼には見えた。風呂が沸き,人が入れるようになるまで結構時間がかかった。サラリーマン現役時代は,どちらかというときつい性格でうるさ型であった父が,風呂当番をやっている時は,根気よく楽しそうにやるのが不思議だった。
 母は時々富山県の老人ホームで暮らす実姉のところへ私の弟たちと出かけるのだが,早朝出発し,帰りは夜の10時過ぎになることが多かった。父は専ら留守番をしていた。ある時,父は体調を崩していたのだが,母のために風呂を沸かして,素麺をゆでて待っていることにしたそうだ。この日は,余りにも体がだるく,これらの作業は困難を極めた。しかし力を振り絞ってやり終えた。母は帰ってきた時,父の心遣いが嬉しかった反面,父の健康状態も気にかかり複雑な気持ちのまま,進まぬ食欲を無理矢理かきたてて素麺を食べたらしい。その後間もなく,父は病を発して,入院し,半年後に他界した。85歳だった。父が亡くなったら,母が急に老けた。
 時は巡り,私も数年前に定年退職し,背の高くない妻と二人暮らしをしている。我が家の風呂当番をやっているのは勿論私だ。私は父より長身なのだ。親子二代で風呂当番をするのも満更ではない。最近,家をリフォームしてユニットバスにした。とても気に入っている。お湯の量も湯加減も自分で調節することは一切必要なくなった。沸けば入れば良いし,時間がたっても冷めない。「もうすぐ,お風呂が沸きます」というコール音を耳にする度に「お前の風呂当番は反則だ。もっと他の用もやれ」と父が怒鳴り出しそうな気がしてならない。
 父のことを思い出そうとすると,いつも風呂当番をやっている姿が目に浮ぶ。
 どうしてそうなるのか,いまだに分からない。



 
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