有限会社 三九出版 - 全て世は事もなし


















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〔新作●現代ことわざ〕
               全て世は事もなし


                           
                     須釜 邦夫(千葉県千葉市)

 「事もなし」とは,「何事もない,無事である」という意味である。我が家の仏間には,円覚寺管長横田南嶺老師の「無事」の禅画が掲げられている。無邪気そのものの童子姿の地蔵菩薩像の傍らに,清らかな字体で「無事」の文言が添書された書画である。私は,この仏画を掲げ,朝に晩に礼拝祈願をしている。「無事」とは,手元の広辞苑によれば,「取り立てて言うほどの変わったことのないこと。㋑事変のないこと。平穏。㋺つつがないこと。健康なこと。」とある。
 私は若い頃,華やかな人生を夢見て,母校一関一高の校訓「遂げずばやまじ」の精神で,初志貫徹し志望大学に進学し,希望通り商社に就職できたが,その後の山あり谷ありのサラリーマン人生においては,必ずしも志を果たしたとは言えないかも知れない。しかし,日々変事の中に身を置く企業戦士のビジネスマンにも,遂にハッピーリタイアする日がやって来た。爾来15年,悠々自適の平穏な日々を過ごし,来年は喜寿の齢を迎えるが,毎年,親しい友人知人の残念な訃報に接する。これは変事の最たるものである。今も大切な同級生がガン闘病中だが,平癒を心から祈ってやまない。
 ところで私の場合,妻子共々皆健康であり,兄弟姉妹の家族もそれぞれ元気にやっており,大変有り難く,仏菩薩と父母の霊,代々の先祖の霊に感謝申し上げている。そうは言っても,「生者必滅,会者定離」の定めが厳存する以上,いつか私が死ぬ時や家族の死を見送る時がやって来る筈だ。その時の為の覚悟は未だ出来ていないが,そんなことにはお構いなく,その時は容赦なくやって来る。その時には嫌でも死ぬ覚悟をせざるを得まい。そのように考えると,若い頃は何とも思わなかった平々凡々な日々の営みが,何よりも幸せなことであり,この上なく愛しく大事なものに思われる。
 なお,題名の「全て世は事もなし」の文言は,19世紀の有名な英国詩人ロバート・ブラウニングの詩,「春の朝」(上田敏訳)の中の「神そらに知ろしめす」の後に続く一節より拝借したものである。ありふれた日常の出来事の中に神の存在を認め,人生を穏やかに肯定しようとする心に共感を覚える。仏教とキリスト教という教えの違いはあるが,平和な穏やかな世を愛する気持ちは一緒なのだと思う。この世の全ての人々が,「全て世は事もなし」と思える時代が一日も早く来るようにと切に願います。





 
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