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☆〔新作●現代ことわざ〕

            ゆっくり急げ
          橋本 克紘(神奈川県大和市)

イラン・イラク戦争は1980年9月に勃発し,1988年9月に停戦されるまで約8年間続いた。勃発から約4年半を経た1985年3月17日,サダム・フセイン大統領は48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛行する航空機を無差別に攻撃すると宣言した。トルコ航空の特別機2機が日本人を優先的に搭乗させ猶予期限ぎりぎりにテヘランのメハラバード空港を離陸した。1890年9月,オスマン・トルコ帝国の軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町沖で遭難したとき,串本町の住民が総出で救助や生存者の介抱にあたり,日本の軍艦が生存者をイスタンブールに送り届けた。その恩返しであるとの美談が知られている。
当時,イラクにも日本人が居留していた。姉がⅯ物産に勤務する夫の仕事の都合で1979年12月から当時小学4年生の息子と小学2年生の娘を伴い先住していた夫と合流し,バグダッドに移り住んでいて,イラン・イラク戦争に遭遇した。両国間の戦闘が激しくなった1981年6月,居留日本人家族が急遽隣国ヨルダンのアンマン経由で帰国することになった。筆者の姉,甥,姪は少しでも長く一家揃って過ごしたい一心で最後に出国した。姉は,先に出国した方々はアンマンの受け入れ体制が未整備で不便を余儀なくされたが,最後に出国した姉達は体制が整備されていてその轍を踏まずに済んだと回想している。安堵と不安が入り混じった心境で成田空港の到着ロビーに現れた3人の複雑な表情は忘れられない。
筆者にも似たような経験がある。運動会が苦手だった。小学5年生のときの運動会で障害物競走があり,何かの弾みでゴール前のネットに最初に到着してしまった。ネットは数名の先生方に両側からグラウンドに強く押し付けられている。そこで最初に潜るのを諦め,後続の2人が潜って作った隙間を潜り抜けた。運動会で賞を取ったのは後にも先にもこの1回だけである。
ノーベル物理学賞の湯川秀樹先生は,随筆「旅人」で「運動会でも、少しも得意になるようなことはなかった。ただ一度、一等賞をとったことがある。障害物競走だった。足は速くなかったが、途中で課せられる障害物の、操作や処理が、偶然巧くいったのであろう」と回想されている。
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