有限会社 三九出版 - 写楽さんのお墓


















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写楽さんのお墓
近藤 文子(徳島県徳島市)

観光立国推進施策の一環として,郷土に誇りと愛着を持った地域住民からなる観光ガイドボランティアの養成が盛んである。私も1か年の研修後,昨春,デビューした。
蜂須賀25万7千石の城下町・徳島は,藍で財を積み,与謝野鉄幹に「阿蘭陀の街に見るごと水にあり藍場の浜の並倉の白」と詠まれた,美しい風情ある町並みを誇っていたが,先の大戦の空襲により焼失してしまった。が,史実は生き続けているし,寺町界隈に残る墓石などは,幾多の人材の存在を伝えている。
さて,ガイド中,「三世大谷鬼次・奴江戸兵衛」の浮世絵をお見せしながら,「この作者は?」と質問すると,「写楽〜っ」と答えつつも,目を泳がせ怪訝な顔つきで見詰めてくる。「そう,次にご案内するお寺には,写楽きんのお墓がありま〜すっ」と言うと,「うっそぉ〜」とか「またまたご冗談を」と言わぬばかりのニヤツイ夕顔・顔・顔。確かに,東洲齋写楽は謎に満ちた浮世絵師で,今でも論争の渦中にいる。
しかし,東洲齋写楽は,弘化時代の考証家・齋藤月岑『増補浮世絵類考』によると,「阿波侯ノ能役者也 江戸八丁堀二住ス 俗称・齋藤十郎兵衛 号・東洲齋」とあり,作品については,「歌舞伎役者ノ似顔絵ヲ写セシカ 余リニ真ヲ画カムトテ アラヌ様二画キナセシカハ   永ク世二行ハレス 一両年ニシテ止ム」となっている。また,阿波藩政資料の『御両国無足以下分限帳』によると,「齋藤十郎兵衛・能役者・江戸住・五人判金二枚」との記録がある。従って,写楽の身分は士分である。以上のことから,阿波藩お抱え能役者として,齋藤十郎兵衛という者がいて,江戸八丁堀に住み,東洲齋と号し,士分でありながらも,当時は「カワラモノ」といわれていた歌舞伎役者の浮世絵を画くという,武士にあらざる行為をしていたのは確かである。
さて,写楽は文政3年3月7日,享年58歳で没。千住で火葬された旨,菩提寺である法光寺(火災のため東京・築地から埼玉・越谷に遷座)の過去帳は,語っている。江戸で没したものの,本国に墓碑がないとは限らない。「写楽さんのお墓」と言われる墓碑には,幾人かの戒名が刻まれているが,ご住職のお話によると,能役者一族のものであろうとのこと。現時点では,同定できていないものの,私たち観光ガイドボランティアのご案内するスポットの一つとして,楽しくご案内している。
読者の皆様も,ぜひ,徳島へお越しになって,写楽さんと対話なさってみませんか。
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