有限会社 三九出版 - 初めての南米3か国訪問


















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               ☆超音波医学国際会議出席異聞(20) 

           初めての南米3か国訪問 

           和賀井 敏夫(神奈川県川崎市) 

1983年6月19日からのベネズエラのカラカスで開催される第3回世界乳癌会議からの招待により出席する機会に,ボリビアのコチャバンバの消化器病センターとブラジルのサンパウロ大学の招待と合せ,16日間の初めての南米旅行を行った。
〇カラカス(ベネズエラ)
第3回世界乳癌会議からの滞在費負担の招待で,初めてカラカスを訪問した。この第1回会議については,「本物語」51号で紹介した。6月18日午前,羽田空港出発。NY,ケネデイ空港経由,26時間の空の旅でベネズエラのカラカス空港に到着した。赤道に近いための猛暑には驚いた。会議会場と私の宿舎となったシェラトンホテルは,カラカスの町の郊外のアドリア海に臨む高級リゾート地区にある専用ビーチを持つ豪華ホテルだった。翌朝,付近を散歩すると,多くの一般住民はホテル専用ビーチの脇の海岸で早朝より海水浴を楽しんでおり,近くに闘牛場があり,その奥の山腹まで多くの貧民窟が広がっているのを見て,貧富の格差の大きさが感じられた。
夕刻,ホテル2階の大ホールで,約1000名参加の開会式に出席した。その内,司会者が次々に名前を読み上げていると思っていたら,突然「ドクター,トシオ,ワガイ」と呼ばれたのにはびっくり。何のことやら分からないまま壇上に上がり,3,4名の会員と一緒に免状を渡された。これは世界乳癌学会の名誉会員証だったのには,事前に何らの通告もなかっただけに,驚くと同時に光栄だった。私は「乳癌の超音波診断」の招待講演と,「乳癌の早期診断」のシンポジウムに出席,当時の日本の優れた成果を示すことができたのは幸いだった。会期中,会議主催の社交行事の一つにカラカス郊外へのピクニックがあった。ここでは,ラテンアメリカ式の野外での子豚の丸焼きなど,野性味豊かな豪快な肉料理には辟易した。会議中にしばしば,「貴方はどうしてスペイン語が話せないのか」と不思議そうに聞かれた。これは会議の参加者はラテンアメリカ系の会員が大部分を占めたこともあり,スペイン語が世界的にも英語以上に極めて大きな存在であることを認識させられたのであった。
〇コチャバンバ(ボリビア)
 今回のコチャバンバ訪問は,日本国際協力機構(JICA)の援助により建てられたコチャバンバ消化器病センターのザバラ医師が,私の超音波研究室にJICA派遣で留学に来ていた関係から,消化器病センターの招待によるものだった。カラカスの世界乳癌会議を終え,ボリビアの首都ラバス空港に到着した。空港ロビーをトランクを持って歩きだすと, 動悸が激しく息苦しくなりしゃがみ込んでしまった。これは,カラカス会議の疲れが出たものと思ったが,後日,実はこの空港は海抜4200mの世界最高地にあることによる山酔いと聞かされ驚いてしまった。
ラバス空港より約40分の飛行で南方のコチャバンバ空港に到着した。小さな空港に,ザバラ医師がニコニコ出迎えてくれたのは何とも嬉しかった。消化器病センターとコチャバンバ医科大学を訪問,講演を行った。またザバラ医師の案内でコチャバンバの町を見学した。町中に独特の色彩豊かな織物を羽織り,女性は黒い山高帽子を被っていたインディオが多く,まさにインディオの町だった。夕食はザバラ医師に焼き肉ハウスに案内された。中央の大きい暖炉で火が豪勢に焚かれ,色々の肉塊や内臓を串にさして焼くラテンアメリカ式の野性的な肉料理には驚いた。ザバラ医師は超音波診断のコチャバンバ第一人者になり,院内は勿論院外からも検査依頼が多いとのことを聞いて,私の研究室で勉強したことが役立って,本当に良かったと思った。
〇サンパウロ(ブラジル)
初めてのサンパウロ訪問は,JICAの援助で私の研究室に超音波診断の勉強に来ていたブラジル二世の奥村マリア医師を通じてのサンパウロ大学医学部からの招待によるものだった。マリア医師の自宅に案内され,旧知のお母様との再会を喜び合った。心尽くしの美味しい刺身や味噌汁などの久しぶりの日本料理には大感激だった。
翌朝,サンパウロ大学医学部産婦人科を訪問,医学部の大階段講堂での講演会に臨んだ。講堂には産婦人科や他科の医局員と学生が約200人ほど出席していた。カラカス世界乳癌会議での報告を中心に話した。 講演に対し活発な質問が寄せられたのには,ブラジルでの超音波診断への関心度の高さが感じられて嬉しかった。講演後,医学部内を見学,附属病院のベッド数が2000とのことには驚いた。また構内で,日本人の女子留学生の多いのには驚いたが,実は彼女らは全て日系の3,4世とのことには,さらに驚いてしまった。またお母様から移民初期の頃の詳しいお話を聞いたのには感動的だった。以上が初めての印象深い16日間の南米旅行の思い出である。 
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