有限会社 三九出版 - 金 木 犀


















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☆〈花物語〉 

              金 木 犀 

            小櫃 蒼平(神奈川県相模原市) 

角を曲がると,そこに雪子がいた。雪子は「あなたはきっとここを通ると思った」と言った。 (きみがきっとここにいると思ったから,ぼくも,この道を来たのだよ)と言おうとして,信夫はやめた。
四十年ぶりの高校時代のクラス会だった。クラス会にとくべつの興味はなかったが,信夫は雪子に,雪子は信夫に会えると思ったのが,ふたりの出席理由だった。
「すっかりおばあちゃんになって……」 「いや,ぼくこそ……」 ― 当たり障りのない会話を交わすうちに,すぐに目的の駅に着いた。 「もうすこしお話したいわ。
隣の駅まで歩かない……?」 「ああ,ぼくもそうしたい」 ― たくさん話をした。にもかかわらず,信夫も雪子も,相手に確かめたいほんとうの〈話題〉にふれることができなかった。ふたりとも,知りたくなかったのだ,相手が倖せであることを,それにもまして相手が不幸であることを。そのとき,かすかに覚えのある香りが流れてきた。ふたりは同時に声をあげた。 ― 「金木犀」。その瞬間,杳い日の記憶がふたりのこころの中に蘇えった。そう,あの日,強烈な金木犀の香りに互いの欲望を感じた恥ずかしさで,大学生だったふたりは,自分たちのはじめての冒険心に封印をしてしまったのだ。
……無垢と臆病の季節。その封印が解けないまま,
四十年が経った。ふたりはこころの中でいま,
同じことを考えていた。「封印を解こうにも,
いまではその鍵の在り処がわからない……」。 
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