有限会社 三九出版 - 俳句につづる老母との暮らし


















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☆《自由広場》 

           俳句につづる老母との暮らし 

             木村しづを(山口県周南市) 

2004(平成16)年,関東から単身で故郷(山口県周南市)の母の許に帰ったのは,実に44年ぶりのことであった。首を長くして待っていた母は当時87歳で,父死後の10年間を独居であった。その母はあれよあれよという間に本年2月,満100歳を迎え,総理大臣の表彰状と銀盃を賜った。拙文はこの間,老母を介護しながら作った俳句をとりまとめてみたものである。
これまで男手一つで世話を出来てきたのも,母が人一倍丈夫であったことによるところが大きい。なにせ医者にかかったのは,この13年間にたった3回。介護保険料は支払うばかりで一回も利用したことはない。ご同輩に比べて達者とはいえ下のものの世話などには人さまには言えない老々介護の苦労がある。
さて,母の日々の活動について記すと,小生帰郷時から数年は野菜づくりや縫物編物に精を出していたが,寄る年波には勝てず,野菜づくりを止めて草引きを,また草引きを止めて畑歩きを,その後は畑歩きも稀にしかしなくなり,最近は椅子で居眠りすることが日常となった。母の体力気力の衰えを見るにつけ,わたし自身の将来の姿を見るようだ。長生きをすることが果たして幸せなのだろうかと思う昨今でもある。
老いゆく母を詠んだ俳句は,わたしの生活の一端でもある。このような親子の暮らしが世の中の片隅にあるのかと,読み過ごしていただければありがたい。

◎2004(H16)~2007(H19)/母87歳~90歳
柿の花母に敵(かな)はぬ鍬使い 
― 筋金入りの母にはとても歯が立たない畑仕事…
父の忌を修し炬燵の母囲む       裏木戸に母の出てゐる朧かな
隠元(いんげん)豆を蒔く間隔も母の知恵      寒椿生けて米寿の健やかや
春炬燵死にたしといふ母とゐて 
― この頃の母は「早く冥土へ行きたいがお迎えが来ない」としきりに嘆いていた(最近ではとんと言わなくなった)。

寝につきし母起こしたる初蛍       母の味また妻の味胡瓜もみ
繰返し賀状見る母見て愉し いつまでも母には子なり稲の花
青饅(あおぬた)や妻子と離れ母と住み 
― 母の世話をするかたわら年数回,妻子を訪ねるのが慣わしとなった。

揺り椅子に母なに思ふ夕端居

◎2008(H20)~2012(H24)/母91歳~95歳
古毛糸ほどくは卒寿まだ編む気     苗札の仮名書きばかり母の畑
― 九十歳になっても編物をしようとする気力があるのはすばらしいことだ。

ばっさりと刈っておくれと生身魂      秋晴や飯より畑の好きな母 
― 散髪は弟の嫁がやってくれる。「しっかり刈り上げておくれ」と……そして晴れた日には畑に出る母。まだまだ元気だ。食欲も脚力もある。

朝夕を違ふる母よ雪ばんば       長過ぎる昼寝の母を覗きたる
― 朝夕の区別があやしくなってきた母。ぐっすりと寝込んだ母にもしものことが?

ミシン踏む九十五歳小鳥くる      もう郷を出ぬ老い母と夕端居
 ― 足踏みミシンを一所懸命に踏んでいる母を見るとうれしくなる。

己がことこなし正座の母涼し      新涼や医者も薬も知らぬ母
― 食事も入浴も着替えも自分で出来て,この十年間,医者にかかっていない。

◎2013(H25)~2017(H29)/母96歳~100歳
余所行きのマフラー母の手編なる   廊奥の足踏みミシン日脚伸ぶ
― 母が編んでくれたマフラーは余所行きだ。母が愛用した足踏みミシンはとうとう故障して,廊下の隅に置かれたままになっている。

骨密度標準以上生身魂       木の葉髪梳きやるわれも木の葉髪
― 今年も元気に盆を迎えた。小柄な母は予想外に頑健な骨格をしている。

もう暑さ忘じし母となられしか      終戦日早風呂を立て母入れむ
生身魂はりはり漬をかりと噛み     敬老日白寿の母に献杯し
橙を飾り母百われら喜寿       草餅に目のなき母よ百寿過ぐ
― 母がめでたく百歳に,加えて私たち夫婦も喜寿を迎えられたことに感謝!

百歳の母に飾りし雛納む        深々と百寿の母の大朝寝
― 娘が置いていったお内裏様を飾ったら童女のように目を輝かせていた母。

この先母が何年生きられるか分からないが,授かった命を全うしてもらいたいものだ。そして出来る限りの孝を尽くしたいと思っている。
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