有限会社 三九出版 - お ま ま ご と


















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☆好齢女盛(こうれいじょせい)もの語る 

        お ま ま ご と 

            藤田 洋子(神奈川県横浜市) 

 食は楽しいものである。 家族だけでなく, 友人たちと囲む食卓は元気の源でもある。結婚したとき,夫は「二人の友人は1+1=2ではなく2+αでなければ」と宣言したが,これを機に我が家に人が集まって食事をすることが多くなろうとは思いもしないことであった。私はあまり料理をしたことのない娘であった。次々と訪ねてくる夫の若い友人たち。私は土鍋と鉄板で勝負をしていたことを思い出す。健啖な彼らの食べっぷりはそれはそれで気持ちの良いものであった。
 お土産は楽しい話題である。当然のことながら,集まる人によってテーブルの上に咲く話題が全く異なることも面白い。まるで食卓の上で,たき火をしているように,パチパチと勢いよく燃える。笑い声が弾ける。そして,ご機嫌よく皆さまがお帰りになった後,食卓の上にはまだその余韻ともいえる残り火が部屋を暖めている。
 若いころは,献立に合わせて食材を整えたものであったが,台所に立って数十年になると,その日の気分その日一緒に食事をする人のことを考えながら料理に取り掛かる。 年齢, 食の好み,中にはベジタリアンといってお野菜しか召し上がらない方とか,小麦アレルギー持ちとか,または好き嫌いの王さまもおいでになり,この日の工夫がなかなか楽しい。市場には新鮮な食材が「おいしいよ!」と私に呼びかける。その食材の全てが命である。その命を,茹でる,炒める,揚げる,和える,蒸す,とさまざまな形で戴く。そして食する人の命となる。そのどれを選ぶも決定は私であることがうれしい。自由だもん!
 ある日,外国人友人夫妻から「ハウスウォーミング」をしたいと招かれたことがあった。 夫と共に出かけてみると, もうすでに数人の先客が飲み物を手に談笑していた。寒い戸外から通された部屋はホッとする暖かさで満ちていた。テーブルには手作りの料理が並んでおり,「お皿に自由に取って召し上がれ」と私を招いた友人は笑顔で勧めてくれた。 どのお皿にも彼女の心づくしが湯気を立てている。 どんなお味かしら。ワクワクしながらお皿に数種類戴き,飲み物を手に和やかな人たちの中に入っていった。初めて会う人との話題は,まず彼女のお料理から始まってすぐに広がる未知の世界。おもしろい。わずか数時間で気持ちもお腹も満ちて温まる。楽しくお暇をするとき, 友人は「私たちの家を暖めてくださってありがとう!」と抱きしめてくれた。これがハウスウォーミングだったのだ。
 彼女の家庭が決して冷たかったわけではなかったであろうが,こうして人が集まるとまず空気が暖まり,人が楽しむとその和気ともいえるものが満ちる。これをハウスウォーミングと言って楽しむ。これが平和というものなのかもしれない。
 私は3歳で終戦をむかえた。焼け野原の東京で両親は食糧を手に入れるのにどんなに苦労したことであろう。配給で配られるサツマイモがあれば幸運,トウモロコシの粉を持ち帰った父は「ANIMAL FOOD 」と袋の表に書いあったと後になって嘆いていた。私はいつもお腹を空かせていた記憶がある。そのためか食するものを捨てられない。私は3日ごとに冷蔵庫に保存してあるものを全て出してみる。残り物あり,素材の使いきれなかった物あり,冷凍してある物あり,これらの組み合わせを考えることは,ゼロから始める料理よりずっと楽しい。一つ残ったおにぎりには野菜を彩りよく入れてドライカレーに,チャーハンに,または卵で包んでオムライス,どのようにも変身する。少しずつ残ったお菜は組み合わせて,ちょっと新しい素材を加えてオーブンで焼いたり,アルミホイルや春巻きの皮で包んで全く前身の分からないものになる。それが美味しいと「やったー」と快哉を叫びたい気分になる。私は同じものが同じ形で出ると食欲が落ちる。うんざりという思いで残り物をかたづけるなんて,決められた回数しか食事の出来ない命を生きていることを考えると誠にもったいない気がする。あるとき夫が「これはうまい。また作ってくれないかなー」と言ってくれたのだが,私は「もう二度とできないの」と詫びた。なぜなら同じ残り物が出るなんて99パーセント考えられなかったから。こんなわけでロストフードを減らそうと叫ばれる今日,我が家の冷蔵庫には捨てられるものはまずない。すっかりすまして改作料理が出番を待っている。
 よく「ままごと」をして遊んだ子供であった。小さなままごと道具,お茶碗やお皿に木の実や草の葉を摘んでご馳走を作った。茣蓙を敷いてその上で,うそこの美味しいごはんの真似事をして遊んだお友達,今はどうしているだろう。
 今日台所に立ち食材で遊んでいると,ふとこの「ままごと」の記憶が戻ってくる。
そして気付く。これは大人になった私の「おままごと」なのかもしれないと。 


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