有限会社 三九出版 - 《自由広場》 朝 の 散 歩 道( 前半 )


















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        朝 の 散 歩 道( 前半 )

          伊藤 研二(愛知県名古屋市)

 朝5時,玄関前の階段を下りて左へ曲ると急な坂道。高校生でも自転車では上がれない。坂を上がると2階の窓に明かりがともり,ラジオの声が聞こえてくる。早起きの人がいる。その隣は幼稚園。入口に柵が作ってあり,何の実かぶら下がっている。年に一度バザーがあって出品したこともある。少し行くと柵のない庭がある。ねぎ,ブロッコリー,さつまいも,チュウリップ,コスモス,シバザクラ等季節によってあちこちに植えられ,隅っこにミカンの木が生えている。ワイルドガーデン。そこに最近家が建った。息子でも帰って来るのかな。突き当りの左手にあるポストに葉書を入れてUターンする。その先に板塀のお寺がある。寺の名前はなく檀家もないらしい。庭の立ち木の向こうに茶屋が見える。人の気配がない。いつかの台風で板塀が壊れ,今はアルミ製の塀に変わっている。

 左に曲がると公園の向かいに小料理屋があった。以前,家の前を掃除する年配の主人を見かけた。一度寄ってみたいと思っていたが果たせず仕舞い。突き当りの100m通りの手前に鉄工場がありダライ粉(鉄の鉋屑のようなもの)が箱に入れてあるので旋盤仕事をしているのだろう。朝早くから特急の仕事かな。父が鉄工所をやっていた頃には夜遅くまで仕事をすることもあった。父は地震,雷,火事などあると家のことより工場が心配の人だった。100m通りを少し北へ行くと歩道橋。渡ってすぐだんぷさん(断夫山)。子供の頃皆がランプ山と言うので何処かにランプがある山と思っていた。伝説によると宮簀媛命(ミヤズ)姫は夫の日本武尊亡き後再婚せず,一生夫の冥福を祈ったという。実際は6世紀頃の豪族の前方後円墳。全長147mもある大きなもの。なぜ方が前で円が後ろなのかな。方が南向き。少し奥に熱田球場がある。今は企業名が付いている。となりにも球場があり少年野球,大人の草野球,ソフトボール,ゲートボールなどが盛ん。高校野球の予選が行われるので母校の試合があると見に来る。猛暑とやぶ蚊に襲われながら観戦する。母校側の応援席で観戦していると選手の父兄らしき人がお茶を勧めてくれる。最近は1回戦負けが多い。以前プロになった人もいたことを思うと寂しい。ちょっと前には同級生も見かけたがこの頃会わない。
 公園を抜けると堀川に架かった記念橋。平成元年に開催された世界デザイン博のときに造られた吊り橋。名古屋駅前の高層ビル群が遠望できる。その谷間から木曽の御岳山が見えるらしい。世界デザイン博ってその後日本の何処かで行われたことがあるかな。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたスファルツア将軍の騎馬像がある。当時の技術では7mもある馬の細い脚を支えきれなかったので像は作られなかったという。現在は強化プラスチックで作られている。ブロンズだったら将来世界遺産になるかな? その他に創造の柱などが残っている。五行説に基づいた直径1m,高さ20m余りで天辺に記号が付いて5本並んでいる。大都市でこれだけのスペースを割けるのは名古屋だけでしょう。国際会議場も作られた。大きな会議があったことは聞いたことがない。鹿児島の小学校から贈られたアコウの木が残っている。冬はテントで覆い大切にされている。幹も太い。広場にはメタセコイアの木が10本ぐらいと50本ぐらいの杉の木が植わっている。100年後には巨木の森になっているかな。この広場でストレッチ体操をする。12~3分。40人ぐらい。高齢者のみ。小学生みたいに1列には並ばない。が,席は大体決まっている。何か捕まれるものの近くに人がいる。片足立ちがあるから。
 堀川沿いに南へ歩く。桜並木が続く。冬は羽白(がんの仲間),ゆりかもめがやって来る。時に鵜の大群が空を覆う。羽音が凄い。ぼら,このしろなどを狙って来る。家康の命により福島正則が造ったとされる名古屋城。石垣を造るため伊勢湾の島から石を運んだ。今でも名古屋城には加藤清正の運んだ巨石が残っている。少し南に下ると国道1号のガードを潜る。
 この先は桜がない。川べりの土手にはつつじが植わっており,反対側は工場になっている。工場の前に昭和20年6月9日の熱田空襲の碑がある。コンクリートの護岸壁に爆弾の破片による傷が生々しい。当時は軍需工場があり2000人が犠牲になった。付近の人達,若い勤労学生も多数犠牲に。
 通り過ぎたデザイン博の置き土産の日本庭園の前に植込みがあり,猫が住んでいる。白と茶色の縞模様で右の後ろ足がない。交通事故かな。餌をもらうとき以外は滅多に出てこない。餌を与えないでくださいと張り紙があるがこの猫は特別だろう。5,6年前から居るだろうか。元気かな?(以下次号。ご一緒に歩いてください。)
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