コンテンツへスキップ

本物語

一覧へ戻る

第29号 2010.4.28

『メンター』

橋本 克紘

 人間形成の上で幼年期の体験やメンター(指導者)の存在が重要である。本誌第26号には高名な画家北島平蔵が叔父君であられる白庭瑞夫氏が,人生に多大な影響を叔父君から授かっていると記されている。また,佐々木徳郎氏は,祖母君から花を愛でる心を,一関一高の野球部長であられた叔父君からは野球が人生を豊かなものにすることを学び,花と野球は氏の伴走者であると記されている。感受性に富む時期に身近な存在から受ける体験がその後の人生に及ぼす影響は大きいようである。勿論,読者諸賢にお伝えできるような私の人生ではない。しかし,それらに恵まれていたように患う。私には下記の3つの出来事が当てはまると考えている。
 二つには,湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞したことである。1949年で,私が小学校に入学する前年のことだった。新聞やラジオで大きく報道され,終戦で打ちひしがれた日本人に勇気を与えた朗報だった。
 そして三つには1950年6月11日,父の2歳年下の叔父,橋本輝雄がクモノバナ号で第17回日本ダービーを制したことである。叔父は,1944年,カイソウ号で第13回日本ダービーを制していたので初のダービー2勝騎手となった。それまで,ダービー騎手は2勝出来ないというジンクスがあったがそれを破った。その前日,NHKのラジオ番組「二十の扉」に出演した。一家揃ってラジオに聞き入ったのだが,叔父は明日のダービーの自信を聞かれて「勝てます」と答えた。余程自信があったのだろう。
 今春,92歳になった母によれば,その頃,私は「博士になり,アメリカへ行き,発明をするんだ」と口癖のように周囲に訴えていたそうだ。湯川博士のノーベル賞受賞の,進駐軍の,叔父のそれぞれ影響を受けたからに相違ない。幸い,この幼年期の三つの夢は達成されている。
 叔父は,1953年,調教師免許を取得し騎手から調教師に転じた。叔父の管理馬のうち数頭の思い出を記したい。
 藤井一雄さんの大障害馬フジノオー号は1963年から1965年まで春秋の中山大障害を4連覇した。第2次佐藤内閣が成立したときと記憶しているが,ある日刊紙に「フジノオーの優勝カップで乾杯する佐藤首相」と説明が付された写真が掲載された。フジノオー号は中山大障害4連覇の余勢を駆って1966年,競馬の本場,英国に遠征しグランドナショナルに挑戦した。叔父はフジノオー号と一緒に貨物チャーター便で渡英した。日本の生産馬が競馬の本場英国へ遠征するのは初めてだったと思う。関野栄一さんの愛馬,アカネテンリュウ号が菊花賞を制したのは1969年だった。後日,私の問いに「人事を尽くして天命を待つ心境だった」と即座に答えてくれた。
 もう9年前になる。私は現在住んでいる住まいを新築し2001年9月30日に引っ越した。それを待っていたかのように,その翌日,叔父は静かに息を引き取った。
一覧へ戻る