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本物語

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第32号 2011.01.29

妻から贈られた生命(いのち)

今泉 介久

 私は昭和8年(1933)9月1日生まれの,今年満77歳(喜寿)を迎えた老経営者です。今年の9月まで現役の社長を続け,現在は会長として毎日出勤しております。
 私は学校卒業後,協和銀行(現りそな銀行)に20年,大阪の山善機械機具(現在の山善)に9年,そして昭和53年(1976)に現在の株式会社フォークス(不動産業と宝石の輸入業を営む)を資本金8,000万で立ち上げ,今に至っております。
 この間の58年を振り返ってみますと,特に会社設立後の32年間は,まさに波瀾万丈の時代でした。戦後最大のバブル時代,そしてその後のバブルの大崩壊。不動産業,関連企業の倒産が続き,私どもも不動産に進出しておりましたので,会社も,個人的にも大きな打撃を受けました。そうした中で私の身体に急に異変が起こりました。これまで身体だけは自慢で,スポーツも万能のほうで,野球,卓球,スキー,ゴルフを中年まで続けて参りました。ところが平成4年8月,59歳の時でした。急に気力,体力が衰え,食欲もなくなりました。「これは変だ」と思い,近所の東京医科大学病院に行きましたところ,約1か月間の検査入院となりました。結果は手遅れの「慢性腎不全」とのことでした。つまり,このまま生きてゆくには,週3回,約5時間の人工透析か腎臓移植以外にないとのことでした。
 会社創立以後は超多忙を極め,ここ数年を振り返ってみましても,社員には「毎年1回健康診断」を義務付け,実施して参りましたが,社長の私は多忙を理由に病院での健康診断を受けておりませんでした。一方で,夜は取引先とのお付き合いで暴飲暴食,帰宅は毎晩“午前様”でした。結局こうした生活を長年続けた「ツケ」が回ってきたのでした。
 腎臓移植(臓器移植),それも死体からの移植は今の日本では非常に難しく,しかも,ドナウ(腎臓を提供する人)は万人に一人とのことで移植の成功は宝くじで1億円を当てるぐらいの確率しかなく,非常に困難とのことでした。
 担当医師からは「社長を続けるのは無理ですよ」という忠告を受けました。生命(いのち)を守るか会社を守るかの選択を迫られたのです。
 私は「私の人生もこれで終わりか」と,夜中に自殺を考えたこともありました。しかし,今私が死んだら会社はどうなるのか,また15名の社員はどうなるのかと考えると死に急ぐわけにもいきません。結局,苦しくても週3回の「人工透析」を続けて生きていく以外に道はないものと心に決め,人工透析の導入に入りました。経済情勢も厳しいこの時期でしたが,事業を続けながら通院生活に入ったわけでした。
 そしてあれから十数年,私は「妻から贈られた腎臓」で正常な生活を送っております。お陰で会社のほうも77歳の今日まで,社長,会長職として続けてこられました。妻は腎臓移植については何も言いません。一つの腎臓でごく自然に振る舞い,それまで以上に朗らかに笑顔を絶やさずに頑張っています。私は妻には感謝以外の何ものもありません。感謝,そして感謝です。「妻よ,本当にありがとう。」
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