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本物語

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第41号 2013.5.10

群馬“謎の方位線”を推理する

成田 攻

 関越自動車道を藤岡から新潟方面に進み前橋インターを過ぎると,すぐ左手に上野(かみつけ)国分寺跡がある。約1260年前,そこに高さ60メートルを越す七重塔と,東西220メートル,南北235メートルの華麗なる伽藍が完成した。聖武天皇が鎮護国家の思想を掲げ全国68の国に国分寺建立の勅令を発したのは天平13年(741)であった。上野国分寺は全国でもかなり早く749年には完成していたとされるが,土地の有力豪族たちの寄進に支えられ,またこの地方に寺社建築の技術に長けた渡来人集団がいたからだとも言われている。その上野国分寺も14世紀後半には見る影もなく荒廃し,やがて田畑の下に埋もれ,発掘調査が始まったのは実に昭和55年になってからであった。現在では金堂と七重塔の基壇および築垣の一部が復元されている。
 その上野国分寺跡を東北東から西南西方向(子午線に対して228度)に貫く一直線上(前橋市〜高崎市,約12キロ)に,東から遠見山古墳,宝塔山古墳,蛇穴山古墳,山王廃寺,国分寺,妙見寺,賢海坊古墳,御庫山古墳,観音崎古墳が見事に並んでいる。いずれも6〜8世紀頃に人間が作ったものであるから,偶然ではありえない。いったい,この一直線の配列は何を意味するのであろうか? まだ誰も気づいていないのか,ネット上には一片の情報もない。はこれを「謎の方位線」と名付けた。
 ところで,伊勢を指向するといっても,あの時代にいったい,群馬からはるか330キロも離れた伊勢二見浦の方角を正確に指すことなどできたのであろうか? どうやら,それは可能だったらしい。大雑把に言えばこうだ。まず初めに伊勢二見浦に立って夜の天空を見上げ,頭上の星を確認する。そして,北辰の星(北極星)に向かいあと2つのめぼしい星を定めて三角形を結び,その角度を正確に測量する。次に,天文暦からあの星が南群馬の頭上に巡ってくる時を割り出す。その日その時刻に,二か所,例えば前橋と高崎において北極星に向かい,先に定めた2つの星を二見浦で測量したと同じ三角形の位置と角度に捉える地点を求める。そうして求めた2地点を結ぶと,その延長に伊勢二見浦がある,というのだ。ちなみに,中国の僧観勒が602年に暦,天文地理,遁甲方術の書を日本にもたらしたと日本書紀に記されているが,実際には暦も星宿図も天測術も既に渡来人によって持ち込まれていたらしい。
 それにしても,6〜8世紀の時代に,当事者間に墓や寺を一方位線上に並べる意思の疎通や連携があったとは考えにくい。私は,先ず方位線ありきではなく,彼らがある“恵方”信仰に従って一定の星まわりの下に墓や寺を築いた結果,それらが一方位線上に並ぶことになったのではないかと推理する。その恵方こそ,あの有難い伊勢二見浦を指していたのだ。そして,古墳はその方位線と被葬者一族の支配圏の境界線の交差する所に,古寺はその方位線上で息災と鎮護を祈願すべく(当時人々が「烟(けむり)岳(だけ)」と恐れていた)榛名山をほぼ直角に見据える場所に,それぞれ建造されたのではないだろうか。証拠はあるのかって? そんなものはない。あるのは吾が“古代”妄想のみ。


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