本物語
第48号 2015.1.30
被災後3年半の三陸海岸の旅
小野 紘一
昨年9月,盛岡市在住の知人夫妻を50年ぶりに訪ねるのを機会に,東日本大震災後の被災地を見てまいりました。
一部未開通の三陸鉄道南リアス線で海岸線を北上,各港周辺の瓦礫は除去されていましたが,後背地は空地が目立ち3年半経過の今も復興未だしの印象を受けました。しかし高台に目を転じますと建設中の建物があり,復興への歩みを感じました。
陸前高田の奇跡の一本松では大勢の観光客が来ており,現地にお金が落ちることで復興に繋がると思いました。また,三陸鉄道駅の女子社員や南リアス線車内販売の御婦人達の元気で明るい対応には,復興に向けて歩んでいる印象を強くしたものです。
三陸鉄道陸前高田駅にあったいろいろな資料では,津波で店を失った商店主達が『未来商店街』を立ち上げ,更に『陸前高田市復興プロジェクト』といった民間主導で復興を目指した活動もあり,商業・農業も元気な未来を予感しました。
また,楽しさを共有できた方との出会いもありました。JR花巻空港駅から最後の宿泊地,花巻温泉までのタクシーの運転手さんです。私共が札幌から来たことを知ると,プロ野球日本ハムファイターズの大谷翔平選手と彼の娘さんが花巻東高校のクラ
スメートで,デスクを並べていたと嬉しそうに語っていました。
このようなことで,復興に向かって進んでいることが確認できました。しかし……。
20年前,私が目の当たりにした阪神・淡路大震災では,3年後には行政の都市計画により耐震構造の安心・安全な震災復興住宅が見事に完成しましたが,この住宅は入居者同士の付き合いが当初から薄く,20年後の現在は高齢化して孤立状態にあるそうです。1,2階の商店街はシャッター街と化し,震災前の賑わいは失われていると,先のNHKTVがコミュニティーの崩壊と報じていました。このようなことが今回の被災地で貴重な教訓となって生かされているかどうかまでは見ることが出来ませんでした。
2011年3月11日東日本大震災が発生して2ヶ月ほど経過したある日,知人から平安時代に書かれた『国史大系 日本三代實録』のコピーを戴きました。この中に869年5月26日,東北地方に大きな地震が発生し,津波も被害も今回の東日本大震災と同じ程度であったことが書かれております。いわゆる貞観地震です。このことは既に平成25年5月発行の本誌41号で菊地文武氏が触れているので詳細は省きます。その後ここ東北地域にどのような地震があったのかを調べてみましたところ,江戸時代の1611年12月に慶長奥州地震津波がありました。この時の仙台藩主伊達政宗が徳川家康のいる駿府に行ったことが東北大学助教授・蛯名裕一氏の報告にあります。その報告には,徳川家家臣による報告書『駿府記』に「津波」という記述があり,おそらくこれが世界最初の表現であると記してあります。これらの地震・津波の体験から生まれたのでしょうか,地震・津波に関わる伝承もここ東北には数多くあります。地震が起きたら高台に避難することで多くの命が助かったことや高台にある神社が住民を守る場所であったというようなことです。しかしながら,こうした伝承や先人たちの体験がこの度の大震災で十分に生かされとは言えないのではないかという思いもします。
高度に情報化された日本といわれますが,人の命を守るための情報が時間の経過により忘れられ,多くの命が失われています。歴史学者で災害史にも詳しい磯田道史氏が最近の著書で述べております。「歴史学とは何も政治史だけの狭いものではない……地震や噴火などの災害の歴史は現代にも繋がる生きた歴史だ」「人間は現代を生きるために過去を見る」と。最近訃報が伝えられた統一ドイツの初代大統領ワイツゼッカー氏の次の言葉も有名です。「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」。
人の営みでも自然現象でも,歴史が教えること,先人の知恵の重みを実感した旅となりました。