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本物語

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第51号 2015.10.30

雑感・大震災から四年半の今

稲邊 妙子

 ♪津波襲来三月(さんの)十一日(いちいち)♪ 東日本大震災犠牲者に捧げる鎮魂の歌の一節である。あれから四年半の節目の今日はコーラス仲間の集う日で,被災者と共に生きる気持ちの共有にと毎回歌い続けているのである。メロディーにのせ,忘れもしないあの日の惨状が走馬灯のように描き出される。春にはほど遠い肌寒く小雪まじりの日々,命からがら命をつないだ多くの被災者達の姿,暖房なしでの生活は誰にとっても辛くて忘れることのできない体験,避難所生活での幾日も続く断水をはじめ食糧不足,一瞬にしてすべてを失い強いられた生活の大転換,灯りもなく怖さと飢えに体調不良を訴える人,物資も届かないもどかしさ,被災者もそうでない人も不安の日々,街も人もすべてがパニック状態だったことが。
 また,私達はあの三月十一日を経て大切な何かを忘れかけていたことに気づかされたように思う。昔の教えを語る機会も少なくなり,何もかも時代だからといって流され,急激な近代化・機能化・物質化の力だけが幅を利かせているのが現実だが,人間の歴史や我が国土など根源まで考える時ではないだろうか。三陸沿岸地域の犠牲者も多かったこの災害は止めようもなかったものの,日頃の防災意識の高揚や訓練を徹底していた地域は多少の差はあるにせよ大きな被害は免れたとも聞く。これは他所に比べて日常的な防災意識が高く,沿岸地区に見られる津波浸水想定区域の標識,海辺の街には大きな堤防,また津波の警告板や避難路の多数の掲示板,これらは過去の被害に学び先人の話から得た浜の人々の知恵の賜でもあろう。
 さらに,今回の震災は誰でもが予期できなかった最大級のものであり,多くの課題を残しながらも多くを学ぶことともなった。自然の脅威の前に建物の脆さを痛感,高田松原の防風林は津波をブロックするためにはあらず,人工物は人工物にとっての凶器に変貌したことなどは決して忘れてはならない。

 さて復興はいかほど進んだのだろうか。この月命日の情報把握では,仮設住民調査によると3400世帯が再建意向不明という。もうすぐ五年を迎える今,安心して住める自宅がないことの不安、淋しさと悲しさは推して知るべしである。一方では高台移転が叶えられ,家は何とか新しくなったけど住む人間が古くなり,そちこち体の不調で病院へ通うにも交通手段が不便であるとか,仮設住まいの四年間の仲間達との交流が失われたとか,悩みは多い。
 街づくり計画では,どの市町村でもかさ上げ工事がやっと終わり,本格的な仕事開始がスタートについたばかりと聞く。またさらに,遺骨の引き渡しが出来ない悩みが続いている。身元の特定が難しいのだという。岩手の場合120人もいるとか。現在はお寺にまたは納骨堂に保管しているのだが,その期限や供養方法が決まっていないため十六市町村では頭の痛いところだとのこと。犠牲となった方達の落ち着くところの不安定さが市町村にとって当面の課題の一つである。御霊(みたま)の安らぐ日が一日も早くと祈るのみ。


 あのこと,このことを思うに,復興にはまだまだ時間がかかりそうで,困っている被災者の声を聞く度に無念さを感ずるのみだが,一方で最近,震災でシングルマザーになったが,そのひどい生活の中でも三人の子育てを懸命に明るく前向きに生きている映像を見て釘打ちになったことも心から消えない。また,「今は被災者同士の温度差を感ずるが,忘れずに便りをしてくれる貴女に励まされる。命があることに感謝している」との被災者の友人からの温かな文面の便りも忘れられない。
 これからも気持ちだけだけれど復興支援したいものと,私は心に誓っている。




 
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