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本物語

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第59号 2017.12.25

津波災害の恐ろしい記憶

早坂 統行

 地震は娘たちへのバレンタインデーのお返しを購入し,多摩川を散策中に発生した。過去に東北で地震を数多く経験していたので,これは強いなと直感し,しばらく立ち止まった。近くで2~3名の青年もその激しさに立ち止まっていた。この地震が,帰宅後,TVを観た私の頭に恐ろしい映像として強く残った。2001年の9.11のNYツインタワーへの航空機衝突とビルの倒壊,そして今回の3.11の津波の襲来の映像は現実を超えていた。小松左京の小説「日本沈没」を上回る天変地異が起こったことを知った。 
 またその翌年は高校の同期会で三陸海岸を訪れ,今では有名になった陸前高田の一本松や大槌町の町役場跡を見て,また,バスガイドの説明の津波浸水区域前方××mの道路標識や建物壁面の津波の高さ表示に驚き,田老町では防潮堤も効果を発揮することなく駅前の街がすっかり姿を消してしまった様子を見て驚いた。高台には仮設の住宅が建設されていたが,その工事も計画通りには進んでいなかった。 震災絡みの道路工事,宅地造成,仮設住宅建設などは全般的に計画より大幅に遅れている状況だった。昨年は会社OBの同期会で再び震災の地を奥松島に選び島々の素晴らしい景観に感激した後,古川在住時に子供達と海水浴を楽しんだ野蒜海岸や松原の様変わりした姿に接し,非常に残念で悔しい思いをした。新装した駅舎で被災時のビデオを放映していたが,何度見ても恐ろしい映像だ。この9月の敬老の日に中学校の同期会(喜寿の祝)が鳴子温泉であり参加したが,途中石巻の日和山から津波被害状況を見て新築した女川駅やその近辺を訪れようと思ったが,交通の便が悪くそれは実現しなかった。次の機会に訪れたいと思っている。
 次に私が勤務していた会社や社員家族の被害について触れたい。本社は東京にあるが,工場を東北地方に展開したので,津波による人命や建物などへの被害を受けた。
 ここまで主に津波の被害について述べてきたが,この夏にはメキシコで地震があり,津波の影響はなかったが300人の犠牲者が出て,日本からも救援隊が出動したということを思い合わせると,地震では関東大震災のような火災や巨大ビルの倒壊も心配である。首都直下地震,東海・東南海地震,南海地震とまだまだ大地震が予想されている。この課題にどう対応するのか? この3.11大地震でも地域によっては,チリ津波の苦い経験を生かし訓練をくり返して被害を最小限に抑えたという報道もあった。「天災は忘れた頃にやってくる」からこそ常日頃の準備をしっかりしておくことや,記録できることは,分かり易く文章で残し,可能なものは映像にして,機会あるたびに広く報道して喚起をする。さらに小学校教育のカリキュラムに「生命を大切にする」仕組みを入れ込んだり,寄付やボランティアを新しい文化として育み定着させる社会を作る。財政的にも時限立法下の特別税も期限を延期する形で基金化するなどして将来に備えたいものである。
 言うまでもなく原発事故,放射能被害も忘れてはならないことである。チェルノブイリの事故は他人事であり,日本で同じ事故が発生するとは予想もしていなかった。広島・長崎で原爆の怖さ,恐ろしさを知っていた日本人は改めてこの「怖さ」に立ち向かってこれから先生活しなければならない。今すぐ原発を止めることはできないだろうが,新規投資は止め,長期に亘って安価で安心なエネルギーの調達に努める。放射能を密閉した状態で設備を廃却し,かつ汚染地域の居住困難者の保障問題や放置された農地の処置等技術的にも,経済的にも解決すべき課題は山ほどある。世界からの手も借り,日本人が知恵を大いに発揮すべき時である。頑張ろう日本‼ 
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