本物語
第60号 2018.3.30
〈花物語〉 蕗の薹
小櫃 蒼平
おひさは,陸奥ノ国の小さな港町の遊郭,松前屋の抱え女郎である。
おひさは,こころのやさしい,ひとを疑うことを知らない女であった。
十五の年の寒い冬の夜, 「わしが温(ぬく)めてやろう」という言葉をうれしく聞きながら,父親に犯された。でも,おひさは疼痛のなかで,父親のやさしさをすこしも疑わなかった。それどころか,おひさには父親の〈せつなさ〉がよくわかっていた。母親が生きていたら,その〈せつなさ〉は母親によって癒されたにちがいない,と―。
松前屋の女郎になってからも,おひさは日蔭の花のように生きた。朋輩は「辛気くさい女」といって,おひさを避けた。いつも暗い客ばかりがついた。奉公先をしくじった男,心中の片割れ,無宿人 ― みんな暗い過去を背負っていた。おひさはそんな男たちに言葉寡なに寄り添い,いつもやさしくなぐさめた。
十八の年の冬のある日,おひさは松前屋から姿を消した。 「おどが淋しがっとる」とつぶやいているのを朋輩のひとりが聞いた翌日だったという。おひさは在所の山奥で,雪に埋もれてひっそりと死んだ。
春が近づくと,そのあたりの雪の下にたくさんの蕗の薹が萌え出る。
薄緑の,童が両手を合わせたような。かわいいかたちの蕗の薹で,食卓にのせると仄かな苦味がやさしかった。土地の人びとはいまも,この蕗の薹を〈めごわらし〉とよんでいるそうな―。
※「おど」―父親
※「めごわらし」―めごいわらし(かわいい子供)
おひさは,こころのやさしい,ひとを疑うことを知らない女であった。
十五の年の寒い冬の夜, 「わしが温(ぬく)めてやろう」という言葉をうれしく聞きながら,父親に犯された。でも,おひさは疼痛のなかで,父親のやさしさをすこしも疑わなかった。それどころか,おひさには父親の〈せつなさ〉がよくわかっていた。母親が生きていたら,その〈せつなさ〉は母親によって癒されたにちがいない,と―。
松前屋の女郎になってからも,おひさは日蔭の花のように生きた。朋輩は「辛気くさい女」といって,おひさを避けた。いつも暗い客ばかりがついた。奉公先をしくじった男,心中の片割れ,無宿人 ― みんな暗い過去を背負っていた。おひさはそんな男たちに言葉寡なに寄り添い,いつもやさしくなぐさめた。
十八の年の冬のある日,おひさは松前屋から姿を消した。 「おどが淋しがっとる」とつぶやいているのを朋輩のひとりが聞いた翌日だったという。おひさは在所の山奥で,雪に埋もれてひっそりと死んだ。
春が近づくと,そのあたりの雪の下にたくさんの蕗の薹が萌え出る。
薄緑の,童が両手を合わせたような。かわいいかたちの蕗の薹で,食卓にのせると仄かな苦味がやさしかった。土地の人びとはいまも,この蕗の薹を〈めごわらし〉とよんでいるそうな―。
※「おど」―父親
※「めごわらし」―めごいわらし(かわいい子供)