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本物語

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第62号 2018.11.10

伝えることの難しさ

岡本 崇

 記録に残る日本最初の震災記録は,599年(飛鳥時代)の推古地震でM7。これは,私の故郷,大和国の地震だとされるが,震央は分からず規模の根拠も不明らしい。
 「地震 雷 火事 台風」と云われるが,その後の千数百年間にあった大災害が,どの程度伝承されたであろうか。私が体験し,記憶に残っているのは昭和南海地震(S21年 M8 死者1300人強)と,伊勢湾台風(S34年 死者5000人強)ぐらいである。自分が恐ろしい体験をしない限り,忘れるし,世代が代われば忘れられる。
過去の経験を伝えて災害を少しでも抑える為には,過去の震災をどのように伝えて行くかを皆で話し合う事が大切。過去に津波が来た地点を石碑に書いてあったが,文字も読みづらく,風景に溶け込んでいて誰も認識していなかったという事例もあった。その為に,すぐ腐る木の表示に変えて,数年毎に建て替えて忘れない様にしようという試みもある。「東松島の復興を支える“おのくん”人形。あなたも1000円で里親になってみませんか」という試みもある。SNSメッセージや,東日本震災アーカイブと云うHP作成もなされてはいる。防災意識を根付かせる為には,継続的な努力が大切。大災害の経験をいつまでも子孫に伝えて行く事が,次の被害を防止し軽減する最大の力となる。その土地が本来持っている災害危険性や脆弱性も熟知して対策を取る必要がある。積極的な「知らせる努力」と,地域住民の「知る努力」の継続が大切。
 昭和51年の水害では,流域の大東市内の広範囲にわたって浸水した47年の洪水で,川幅拡張等の改修工事が進められていた矢先に未改修の支流の狭い区間で溢水した。この時,住民たちが最高裁まで訴え,敗訴したのが有名な「大東水害訴訟」。その結果,最近の寝屋川は高いコンクリート擁壁が聳え立っており,水害は無くなった。
 昔は,川沿いは危険なので山の尾根伝いを旅したが,今では川沿いに道が出来,人が住んでいる。先祖が災害に懲りて,海抜560mに転居したのに,海抜320mへ,そして湖跡の海抜3mに住んでしまう。一昨日の台風21号では,関西国際空港が水浸
しになったが,福島原発電事故と重なって見える。災害想定の甘さが酷過ぎる。
 阪神大震災以来9・7・5・2年と震度7級の地震の間隔が短くなり憶えきれない。人々の記憶は時が経つにつれて薄れて行き,大きな歴史的な出来事であっても風化してしまう。これを踏まえて,私達は,過去の歴史を正しく伝えると共に,工夫を凝らして,繰り返して後世に語り継ぐ責務がある。私は今,古文書教室で学びながら,隠れた歴史を見つけ,伝えて行く事に生甲斐を感じている。(2018年9月6日記す) 
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