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本物語

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第65号 2019.10.30

〈花物語〉    鷺 草

小櫃 蒼平

 これは〈鷺草〉のお話 ― まだ人間が天変地異を素直に受け入れ人びとの間で異種混淆の神話が信じられていたころのお話です。
 人間の族長(おさ)の美しいひとりむすめに惚れた一羽の鷺がおりました。鷺は寝ても覚めても“むすめ恋しや”で身も細るおもいでした。
 ある日のこと,鷺には寝耳に水,晴天の霹靂のようなことが起こりました。族長のむすめはなんと,鷺ならぬ鶴に恋をしていることがわかったのです。鷺と鶴では所詮勝負になりません。おのれを知る鷺は,謂わば先手必勝,ひと夜,鶴に変身してむすめの部屋に忍び込み,まんまと積年の思いを遂げました。これは鷺は鷺でも瞭かにサギであります。
 しかし鶴ならぬ鷺,こうした無理がいつまでもつづくわけがない,と密かにこころ痛めておりました。それに鶴に対するむすめの一途な思いもわかりました。そうなると,むすめの自分に対する日々の献身が,鷺にはたまらなく切ないものに感じられるようになりました。
 ある日,鷺は,鶴にむすめの思いをそれとなく伝えると,とつぜん遠い土地に旅立ちました。それは鷺にできる精一杯のむすめへの〈愛=贖罪〉だったのです。それと知らぬむすめは,そののち鷺の鶴ならぬ鶴としあわせに暮らし,だれもが羨むような一生をおくったそうな ― 。
 春夏秋冬ふた巡り。村人たちの記憶の中から鷺の姿が消えたいつのころからか,村の其処彼処に〈鷺草〉とよばれる花がさくようになりました。それはひと目につかぬ山野の湿地にひそやかに咲いています。あたかも族長のむすめのところに,たったいま飛び帰った鷺のような花をつけて……。 
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