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本物語

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第65号 2019.10.30

当 た っ て 砕 け ろ

西方 正治

 それは,大学生時代の「入ゼミ試験」で不合格となったことから始まる。
 高崎経済大学2年時(1961年度)の後半, 次年度から必須となる何れかの教授の「ゼミ」を選択することになっていた。
 当該ゼミへの入ゼミ希望者が多数のため選抜試験が行われることになり,自分も受験したのだが合格者発表当日午後,学内の掲示板には自分の学生番号が見当たらず,頭が真っ白になってしまったのを今でも鮮明に覚えている。
 ところが応対された奥様の話では,教授は所用のため同じ府中市内の親戚宅に出向いており留守にしているとのこと。
 ならばと,「来訪目的」「是非今日中に教授にお会いしたい旨」を出向き先に奥様から電話をしていただくようお願いし,更にそこまでの道順を教えていただいて,再び電車に乗って向かい,やっとT教授に面会することができた。
 そして,夜分突然の訪問を詫び,入ゼミ試験が不合格だったこと,T教授ゼミに入れて欲しい理由などを必死で説明した結果,何とか入ゼミの許可をいただくことができた。 更に就職に当たってもT教授の紹介により某自動車メーカーの入社試験を受け,サラリーマン生活をスタートすることができたのであった。
 今,サラリーマン時代を含めた自分の人生を振り返ったとき,二十歳の時のあの行動が出発点であったと考えると,感慨深いものがある。 
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