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本物語

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第71号 2021.11.20

南三陸町震災伝承施設を見て

猪岡 光

 昨年末に南三陸町(旧 志津川町)に行き,最近の状況と震災伝承施設を見てきた。
 この町は1960年のチリ地震津波で多大な被害を受けた。私は当時大学生だったが,援助品を配布するボランティアとして数日滞在したところであり,親しみを感じている町である。震災の年の11月に訪れた時は,かつての町並みは全て消え去り,一面泥色の廃墟の広がりの中に建物の残骸のみがあった。三階建ての建物の屋上には乗用車がのっており,津波の力を思い知らされた。今回行った時にはすべての瓦礫は取り払われ,きれいな公園が整備されていた。高台の新しい商店街の奥にはイースター島から贈られたモアイ像が毅然として立っていた。元の位置に残された建物としては,震災伝承施設に登録された「高野会館」と「防災対策庁舎」だけである。「高野会館」は震災当時に参加者300人ほどの「高齢者芸能発表会」が開催されていた。津波警報時に高齢者の高台への早急な移動は困難との判断で,屋上に避難して全員が無事であった。一方,津波警報を最後まで発信した「防災対策庁舎」は,屋上に逃れた人たちを襲った津波で多くの犠牲者をだした悲劇の建物である。高野会館の近くには公立志津川病院があり,エレベーターが故障したために5階への誘導が遅れて71人が犠牲になった。建物はすっかり取り払われていた。また,海岸の近くにあり津波避難ビルにもなっていた町営松原住宅も取り壊されていた。記録によると,松原住宅の住居者と近くにいた高校生ら44人が屋上に上って助かった。
 なぜに「高野会館」と「防災対策庁舎」のみが伝承施設になったのであろうか。震災建物すべてにはそれぞれの津波到来時の物語があり,後世の人たちに告げる内容を持っている。残すかどうかは,その物語の重要性についての判断によるのであろうが,比較することは困難であろう。実際には,建物の所有者の意向,保存するための費用,住民の意見等,多くの要因があるのは確かだ。特に犠牲者が多かった場合には,撤去と保存の意見が対立することもある。さらには,復興の方針にも関係するのではなかろうか。町営松原住宅は,たとえ海岸近くに住んでおり,近くに避難する高台がなくても,このように頑丈な津波避難ビルがあれば安全に避難できることを実証したことになる。それを示す建物として残せば,今後の街づくりに有効であると個人的に思っていた。しかし,取り壊されていた。このことは,新たな街づくりの基本が,従来とは異なる方向になったからであろう。海岸から離れた場所をかさ上げして商店街や住宅地とし,大きい防潮堤を建設する方針となった。漁業関係者からは,海の様子が分からなくなる,作業に不便であるなどの異論がでたとのことである。南三陸町に来る途中の海岸線は,巨大な防潮堤が延々と続き,道路からは海が見えない。以前に海岸沿いをドライブした時の美しい景色は見えなくなっていた。かつて宮古市田老地区では「万里の長城」とも言われた巨大な防潮堤を建設し,2003年に「津波防災の町」を宣言した。それには、「近代的な設備におごることなく,文明とともに移り変わる災害への対処と地域防災力の向上につとめ,積み重ねた英知を次の世代へと手渡していきます」とある。しかし,今回の津波で近代的な設備である防潮堤は破壊され,多くの犠牲者を出した。防潮堤があるための安心感で避難が遅れたとの報告もあり,何よりも素早く避難することの重要性を改めて示すことになった。

 日本列島は大陸プレートの重なる場所にあることから,地震と津波,さらに火山の噴火がしばしば発生する。およそ3万年前に日本列島に移り住んだ人たちは,このような自然災害の中で生き抜いてきた。特に定住化が始まった縄文時代以降においては,住居の場所を慎重に選んだであろう。東日本大震災において,東北地方の海岸近くの縄文遺跡に津波が到達しなかったことが報道された。奥松島の里浜貝塚を見学した時に,製塩に使用した土器は海辺に近いところで発掘されているが,住居跡でもある貝塚は10m以上高い場所にあった。これは,過去の津波経験を数百年,数千年にもわたり口承により伝えたからに違いない。また,沿岸近くにある神社は,今回の津波によって流出するまでの大きな被害を受けていない。このような場所は,津波の時に避難する地点として長年にわたり伝承されてきたので,後の時代に神社を建立したのであろう。南三陸町でも戸倉小学校の児童や関係者190人余りが近くの五十鈴神社に逃げることで助かったとのことである。古い神社では大津波の経験からさらに高い場所に移動した形跡も残っている。このような津波から逃れるための伝承は各地で多く残されており,現在でも機能している。震災伝承施設と共に,このような口承による伝承も併せて残すことが重要であると思った次第である。
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