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本物語

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第71号 2021.11.20

あれから十年,折々の思い

栗原 正明

 3人の会話が途切れた。おそらく私の身長よりも高いだろう直径のタンクが一つ,二つ。テレビでは見ていた『瓦礫』と呼ばれるものが視界の全てを占めていた。
 車は緩い坂を登り切り通しを抜けきったところだ。それまでの長閑な風景に初対面ながらも和やかな会話を楽しんでいたボランティア3人組。『声が出ない』とはこういう事なのだと3人して痛感した。テレビ画面の大きさを超えた360度全ての視界に瓦礫が積まれていた。テレビでは伝わらなかったもう一つの真実は臭気。窓を閉め切った車内に容赦なく入り込む潮気を含んだ腐臭。
 圧倒される惨状に『私達に何ができるのだろう?』という疑問と『それでも私達がやらなければならない』という決意。この時はまだ将来なんて考える余裕は全くなかった。東日本大震災発災からまだ一ヶ月たらず,多くの被災者が公民館や体育館で雑魚寝状態の避難所生活を強いられている状況を我が目で見て,考えられるのはせいぜい2~3ヶ月先の事だけだった2011年4月。
 瓦礫撤去や腐ったサンマの片付け等の災害ボランティア活動から始まりやがて活動内容は生活支援や経済活動支援へと変わり始める頃,被災者の方々に『日常』が戻るのはいつになるのだろう? 仮設住宅からご自宅へお帰りになれる日はいつだろう?と思う時,私達のボランティア活動もいつまで必要とされるのか? 2年先か5年先か? 被災者と私達の将来について考え始めました。同時に世間では『風化』が言われるようになったあの頃2012年冬。
 私の地元埼玉県でも同様に周囲の人々の気持ちは冷えはじめ,報道も少なくなってしまったと個人でのボランティア活動の限界を感じた私は仲間を集めてグループを立ち上げることにしました。地元入間市を中心に集まってくれた仲間達と共に『復興支援入間まごころの会』を立ち上げました。この会では ①復興市などの経済的支援 ②被災地を訪ねるツアー ③講演会や映画会 ④防災学習 の4本柱を掲げて活動を開始しました。東日本大震災の被災地のみならず日本中で多発する自然災害の被災地支援と自らの地元の防災学習という視点を持った時,この会には『終わり』は無いのだと会員同士で話し合ったのが 2015年。
 東日本大震災から10年経過しました。しかし被災地の現状は様々です。『復興宣言』を果たした自治体もある一方で,未だに自宅の戻ることの叶わない方々もたくさんいらっしゃいます。
 被災地で感じるニーズは確かに変化しています。復興支援という文言を狭義に捉えるとそこからは外れてしまうような活動,例えば私自身が参加している『さんま焼きイベント』などは『復興』よりも『町興し』的な色合いが強いと感じられるかもしれません。大船渡市は隣接する陸前高田市などと異なり市役所などの機能の半分以上が被災を免れたことから復興のスピードはより速く感じられます。しかしそれでも一時的にしろ水産業や水産加工業がダメージを受けたことにより町を離れた方々もいらっしゃり人口は減少しています。東日本大震災以前から東京や大阪など大都市への人口集中により地方は疲弊していました。右肩下がりだった当時の状況を復元することが復興なのだとは思えません。将来にわたって人々が住み続けられる町を作ることが復興なのではないかと私達は考えました。
 10年を過ぎた今後の復興支援には町興しの視点も不可欠ではないでしょうか。災害被害から立ち直ってみたら疲弊しきった地方都市になっていたでは笑い話にもなりません。
 自然災害という大きな厄災を蒙った。しかし悪いことばかりではなかった。災害復興を通じて全国の人達と連帯感が生まれ,再生したふるさとには次代の若者たちの希望があふれている……そんな復興の道のりであって欲しいと願っています。
 蛇足になりますが,復興支援は一方的な支援ではないと思っています。残念ながら自然災害の多発する国日本,そこに暮らす私達はいつ自分が被災しても不思議ではありません。今は支援する側に立たせていただいている私も明日には皆様からの支援を受けている可能性も充分にありえます。互いに支え合い,交流を深めることで互いの町を愛し元気にする,そんな活動を続けていきたいと願っている2021年。
 20XX年私とその仲間4~5人は被災した我が町で瓦礫に囲まれて立っています。それでもその表情はさほど暗くはないようです。『東日本大震災の経験が生きたね。町は被災したけど人間的被害は0だったよ』全国から顔見知りの仲間が,そしてまだ見ぬ新しい仲間も駆けつけてくれて,人も町も元気を取り戻していけそうな未来予想図です。
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