コンテンツへスキップ

本物語

一覧へ戻る

第72号 2022330

宇治の文学碑を歩く (その5)

岡本 崇

 2019年10月20日,堺市在住の坂東史朗氏と宇治へ出かけた。京阪宇治駅で11時過ぎに合流し宇治橋を渡るが,そこからはユニチカ㈱宇治工場の高い煙突が見える。
私が昭和39年に伊藤忠へ入社した時,新入社員全員でこの工場を見学。その頃が合繊メーカーの全盛期だった。坂東氏とは昭和48年に,ユニチカ㈱のナイロン・レイヨン課長として東京に着任された時が初対面。その後46年間のお付き合いとなる。定年後は西吉野の柿畑へ毎週来られた。柿狩りの時は孫も連れて来られたが,双方の孫達が,奈良の学習塾で同室だったというのも奇縁。坂東氏の出身地は岐阜県だし,私の23代前の東胤行が美濃地頭というのも奇縁。父の実家,大東家は幕末に「大」の一字を貰って「東」から「大東」と改名しているので,坂東市も「東」から「坂東」と改名したのであろうと私が勝手に思っている。坂東氏は,大厚木CCでゴルフをした時の思い出をよく話されるが,その時,一緒だった私の上司の永田課長は岐阜県郡上市出身。
郡上市大和町には,「古今伝授の里フィールドミュージアム」があり「東氏(とうし)館跡庭園(国名勝)」「東氏記念館」「短歌図書館」「和歌文学館」等がある。

●ものゝふの やそうち川に すむ月の 光に見ゆる 朝日山かな 明治天皇  
 朝日山は対岸124mの山。「ものゝふの やそ」は、「うち(宇治)」にかかる修辞。    
「すむ」は月と水に。明治天皇御駐輦之碑。副碑に御製が刻まれている。明治10年大和行幸の途,宇治の萬碧樓(頼山陽命名・現在は中村藤吉平等院店)に宿泊された。  
 1/24東京を出発して船で神戸に着き,出来たばかりの汽車で京都へ。木津を通過してもらおうと,渡舟ではなく木津川に仮橋も設営した。2/8は平等院→長池→玉水→木津→東大寺東南院。木津では木津小学校で休憩された。2/10畝傍陵参拝の為に宿泊された今井町の宿は,私の義母の実家,恒岡家の隣の弥念寺。2/11建国記念日。2/12藤井寺の道明寺天満宮泊。2/13西本願寺堺別院(堺県庁)見学後,河盛仁平の別邸に宿泊。ここで西郷隆盛の決起を知り,御前会議をして急遽東京に戻る。明治10年は,私の曽祖父,岡本徳永(儀三郎)が35歳の時。徳永は明治13年に堺県会議員になったが,明治9年から堺県(当時は奈良・吉野も堺県だった)の出納役をしていたので,天皇をお迎えする準備で気苦労が多かったことであろう。
●宇治川の 砂の夕焼け すなほりて 無心のあこは みすておくべし 山六  
山田六左衛門は社会運動家で種子島出身。題目「流離」(〝流離無限 悲願無窮〟から)に2句あり,その内の1句を刻んだ碑。「果てしない悲願を抱き 限りなく彷徨う」山田は蓮如が好きだったというので仏典からか。無心で遊んでいる我が子の邪魔をしないという意味。橋姫神社内にある碑。
●涼風となり 神宇治を 見そなはす 克巳
辻田克巳は宇治市木幡在住の俳人,教員。縣神社内に克己の喜寿を祝して門下生が建てた碑。山口誓子の指導を受ける。涼風は夏の季語。神は今,涼風となってこの宇治の地をご覧になっている。教員としての思いを読んだ句に「花に酌む 教え子といふ たからもの」がある。木幡には私の義父が住んでいるし,娘夫婦達も一時住んでいた。
●山宣ひとり孤塁を守る だが私は寂しくない 背後には大衆が支持しているから
山本宣治の墓碑。戦前の政治家。生物学者。彼の菩提寺は善法寺だが,墓地は少し離れた丘の上に。周りが山茶花で囲まれている。宇治河畔の旅館「花やしき浮舟園」は,病弱であった宣治の為に両親が建てた家が,やがて旅館として発展した。
●いさやその 蛍の数は 知らねども 玉江の芦の みえぬ葉ぞなき 源頼政
全ての芦の葉が見えるほどに光を放つ多くの蛍がいるということであろうか。
天ケ瀬ダムへ行く途中,成長の家を右手に見ながら少し歩くと川沿いに歌碑がある。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で取り上げられた頼政は満仲の長男の末裔で1180年、平等院で戦死。四男の末裔の頼朝に加勢した宇野氏は二男の末裔。宇治川の蛍は古くからの風物詩。頼政と同志の亡霊が蛍と化して挑みあう宇治の蛍合戦と呼ばれる源氏蛍は渓流に生息する日本固有種。宇治では6月に観賞できる。高崎市の榛名湖(1084m)の蛍は,湖で発生する蛍(7月)として日本で一番高い所に住む源氏蛍。源氏蛍の北限地は青森県野辺地町のやや北方で,県の天然記念物(7月中旬)と云われる。
北見市には,「ほたるの里」があるが,「平家蛍」で7/20~8/20。私の故郷の西吉野町には平家蛍がいた。坂東氏がボランティアガイドをしていた堺の大仙公園では,5/28~6/14に蛍観賞会がある。堺市は蛍のご縁で,東吉野村と友好都市になっている。

宇治川の遊覧船乗り場の上にある「鮎宗」で,坂東氏と夕食をして散会。(続く)
一覧へ戻る