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本物語

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第73号 2022.7.20

〈花物語〉    海 棠

小櫃 蒼平

 海棠といえば,小林秀雄の「中原中也の思い出」という文章をおもいだす。ある寺院の境内にあった海棠の名木の話を枕に,小林は中原との苦い思い出(長谷川泰子という女性をめぐる三角関係)を回想する。ある年の花見の折,名木の傍らの若木をみていた,ひとりの職人風の男の若いのは、やっぱり花を急ぐから駄目だ」という言葉からそれははじまるが,「(海棠の散るのをみて)あれは散るのじゃない,散らしているのだ。一ひら一ひらと散らすのに、屹度順序も速度も決めてゐるに違ひない」とか,「中原の心の中には、実に深い悲しみがあつて、それは彼自身の手にも余るものであつたと私は思つてゐる」とかいう件を読みながら,わたしは歳月という濾過装置がもたらした小林の深い悲しみと悔恨を読み取る。小林はまた「私は中原との関係を一種の悪縁であったと思つてゐる」とも書いているが,小林が「悪縁であつた」と表現するのはすこし複雑で,それはみずからの「生の形式」を探し求めるのに必死であった若きふたつの魂が狂気の季節の中にあったことの,小林一流の逆説的な追認の言葉と考えたい。そこには時間が中和した中原への屈折した〈愛〉がある。
 わたしの散歩道に数本の海棠がある。季節になるとたっぷりと小さな花をつけるが,その可憐な姿は桜に比して悲しげな趣がある。酒に酔った楊貴妃に玄宗皇帝が「酔っているのか」と尋ねると,海棠の眠りいまだ醒めず」と答えたところから,中国では海棠は美人の形容という。その見立ては半開の繊細な花の俯くさまが哀れに美しいからであろうか。

 ※小林秀雄/文芸評論家    ※中原中也/詩人  
 ※「中原中也の思い出」(『人生について』小林秀雄/中央公論文庫)
 ※「酒に酔った楊貴妃に……美人の形容という」(『樹木』/片桐啓子・文/金田洋一郎・写真/西東社)
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