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本物語

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第73号 2022.7.20

戦中戦後,生き残った老女のひとり言(その1)

鈴木 雅子

 昔,新聞記事の興味のあるもの等を切り抜いて使用ずみのノートに貼っていたものだった。部屋を整理するため,それらをゴミ袋につっこんでいる。その中から,国立市が町だった頃からの思い出を一筆書き残しておこうと思う。

 昭和四十年代の「動物ごよみ」という題の切り抜きにコジュケイの事が出ていた。そういえば五十年以上も前になろうか,駅近くの我が家でも「チョットコイチョットコイ」と聞こえる特徴ある鳴き声が,遠くから聞こえたものだった。きっと遠くの山の方で鳴いていたのだろうが,その声がはっきりと聞こえるほど,今と比べ車などの音が少なかったのだろう。今はもう忘れているほど,長らくその声を聞かなくなっている。
 もう一つ思い出した。やはり五十年位前か,隣に住む弟一家が,ある夏,二三日留守にした。夕刊を入れておいてあげようと門の所に行ってみたら,するすると細く小さい蛇(それでも一メートル位はあったろうか)が出てきてギョッとした。駅まで若い頃は十分もかからず行けた我が家。その頃は山鳩の鳴く声がよく聞こえ,その上コジュケイまで声を添え,少し坂を上るとレンゲが一面に咲く空き地もあって,蛇までもが住みつき,何と田舎だったことか。便利になった分,自然は失われていったのだナと実感する。レンゲの咲く空き地はその後建て売り住宅が出来て,もうあのレンゲを見なくなって久しい。私は子供の頃,東京杉並区の荻窪に住んでいたのだが,高井戸の方まで行ってイナゴとりをしたものである。子供の頃から土筆(つくし)とか蓬(よもぎ)(餅草)つみ,栗拾いなどが大好きだった。今は多分家が建ち並んで,田畑などはなくなっているだろうが,その頃は田んぼだった。イナゴを夢中でつかまえていたら蛇が出てきてびっくりしたものであった。とったイナゴは一日くらい袋に入れてつるしておき,糞をさせて,そのあと佃煮にする。パリパリしておいしく,私は大好きだった。(だから現代の若い人はびっくりするかもしれないが,イナゴを食べるのは普通の事だと思っていた。)
 もう一つ,書いておきたい事。先日雨もよいの日,大きいガマ蛙が出てきていた。 ―そう,頭からお尻の所まで十五センチ位あるほど―。以前は門扉の辺りによく居たのだが,最近見ないので,どうしたのかと思っていたのだ。ああ生きていたのだ,よかったよかったと懐かしく嬉しくて,つい頭の方を撫でてしまった。周りの道は舗装され,昔から住みついている小動物達は,きっと行き場を失ってだんだんどこか別の所を探して居なくなってしまったのだろう。住むところはあったのだろうか。~これもずい分前の事だが,台所の外扉にやもり(・・・)がへばり付いていた事もあったっけ。私はみ(・)みず(・・)はどうしても好きになれないし,それに近い大きさの真っ黒いヒルのような気持ちの悪いのも見たことがあった。(以前その名も調べて知ったのだが,年のせいで忘れてしまった。)勝手かもしれないが,この二つは今でも見たくない。

 過日植木屋さんに頼み,さっぱりと刈りこんでもらったので,今は狭いながらもそれなりに気持ちのよい庭となった。木犀は昔,さし木したもの。もう大きい木となっている。以前は欲しい木はさし木でふやしたものだった。冬は何もないようだが,その下に彼岸花がある。甲府に居た時,山梨大学の垣の外側に生えていたのを守衛さんに断って掘ってきたもの。若い頃は自己流ながら木の形を眺めながら切りつめたりしていたのだが,もう老年なので今はすべて植木屋さんにお願いしている。昔祖父が,木も人間と同じように散髪しなければいけないんだよと言っていたのを思い出す。年とって,食べ物以外買う物はない身。我が家の為にも,前を通るよその人達の為にも,いつもさっぱりと身綺麗にしておこうと思う。そういう金遣いなら僅かながら生きた遣い方だろうと思うから。

 朝,二階の窓をあけて外を眺める。相変わらず家々の屋根,屋根。遠くまで屋根ばかりの眺めだ。つまらないから窓をしめた。ふと下を見ると黄色い蝶がひらひらと草木の間をとんでいた。そういえば最近は蝶も余り見かけなくなったものだが,時々やってきて草花の間をとびかう。そんな時私には,なぜかこの蝶たちが,亡き父や母の魂が娘を心配して見にきてくれているように思えてならず,いつも心の中で蝶たちに語りかけている。お父さんお母さん有難う。何とかこんな調子でまずまず元気でいるから安心して,と。
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