本物語
第73号 2022.7.20
その「形」,三船久蔵講道館十段
小西 忠人
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は“柔道好き”で知られている。大統領は何度か来日されているが,2000年に来日した際に講道館を訪ね,講道館から柔道6段の名誉段位が授与されている。その際に大統領は「柔道が世界に広がったのは素晴らしいことだ。柔道を通じて日本の文化、日本の心が世界に広がっていくことに価値がある」などと謝辞を述べていることが報道されたものだった。しかし今年の春,大統領が欧州柔道連盟,国際柔道連盟の名誉会長を務めていたすべての役職を解任された。
柔道家の話をしたい。柔道の”神様“と呼ばれた三船久蔵(1883~1965)講道館十段のことである。三船久蔵は本県(岩手)の久慈市に生まれ,旧制仙台二中(現仙台二高)を卒業後,20歳の時に講道館入門。その創始者・嘉納治五郎に師事し「理論の嘉納、実践の三船」と称され,「隅落し」(通称「空気投げ)技は柔道界に刻印される。
身長159センチ、体重56キロと小柄ながら「柔よく剛を制す 小よく大を倒す」を身もって具現した三船十段は、講道館柔道の「精力善用」と「自他共栄」の二つの理念における講道館史上4番目の十段に到達。講道館入門後も学業を続け,早稲田大学予備科を経て慶応大学部理財科(現経済学部、のちに中退)へと進んでいる。将棋3段,書道5段の有段者でもある。70歳の折に「柔道回顧録」を発刊,はしがきに「いくらか経験もつみ、いくらか修練もかさねている。自分のとぼしい過去をかたることが、多少とも世のためになるということであれば、むげに却けるわけにもゆかない」とされながらも講道館時代,そして本題の「柔道の哲理」では修業上の「綱領五ヶ条」と「習練の心得七ヶ条」を示され,その上に立って,技の錬磨は,科学的に,合理的に研究を積み重ねることであり,すなわち技は「無限」への挑戦―であると語る。
三船十段生誕の地,久慈市は1958年(昭和33)に名誉市民三船久蔵十段を顕彰して「三船久蔵記念館」を開設し,柔道のまちづくりを発信しているが,こうした郷土の先人を誇りに抱く時,一人の人間として精神的にも肉体的にも強くなるには,いかに本気で自分と向き合うか。言うなれば「人間を磨く」,このことは柔道に道を求め,技に命を吹き込む三船十段八十余年の生涯が,まさにそれではなかったのかと思う。
もう40年も前になるが,私が花巻に赴任していた当時,「三船先生の胸をお借りしたことがある」と語る方に会っていた。市内で呉服店を営んでいた伊藤和三郎さん(故人)で,ご自身は講道館7段の有段者。全国商店街振興組合連合会理事などの要職を歴任され,県柔道連盟顧問としても人材育成に尽力された。伊藤さんが私に語ってくれたのは,福島高商(現福島大学)3年の夏期合宿に三船久蔵を招待し,一日6時間,2週間猛特訓を受けたという学生時代のことで,「あの時、体のしんからビリっと響く声が今でも鮮明に蘇ってくる」と時折笑みを浮かべて話されていたことを思い起す。
「一礼して『ヤアッ』と掛け声とともに一歩足を踏み込んだ瞬間、アッという間に投げ飛ばされていた。一瞬のことだった。それがいわゆる『空気投げ』というもので、その当時の三船先生の段位は7段、46歳で、心も技もさえわたっていたころだと思うが、先生の持論である『文武一道』を確立せんがために非常に研究され、自ら学び続ける求道者の姿を見る思いがした。先生は私より3寸小さい5尺3寸(159センチ)、体重15貫(56キロ)、その体から繰り出す威力はまさに神業だった。それは相手を倒すというよりは、相手が倒れるのを手助けして倒す柔道力学。たとえ体が小さくても非力であっても、相手を制する、いわゆる相手のスキをつかんで虚に乗じてその力をフルに利用して相手が倒れるように仕向ける。それが実際,可能なのかと疑問に思ったが、それが先生の根本を成している柔道だと知った。先生は『百戦錬磨の功を積み、七転び八起の妙を得て、解脱の道を悟りなば、変幻自在の球となる』とうたっておられた。このうたはまさしく柔道の極意そのものだと思う」と私のメモにはこう残る。
変幻自在の球となる―その「球」について「柔道回顧録」には,「球」は柔道の根本理念を象徴するものととらえている。いわゆる「球」の重心が常に真ん中にあることから,「球」はいくら転んでも中心を失うこともなく,その動きに無理がなければ変化にも早い。この「球」のごとく人間の体も動きいかんによって「球」であり得る。「押さば回れ」「引かば斜に」という“球の型取り”を編み出し,そこで語られるのは,すべての物体は「いかなる形といえども中心なくしては、その『形』をなさぬ」ものだと。
こうした「三船柔道」を完成する中でも,三船十段は日本の柔道が国際親善の上にも大きな役割を成すとの思いが静かに流れていることを知った。ご自身の「柔道の歌」(作曲・山田耕筰)の三番に「柔の道には国境なく 柔らぐ心に敵はなし 世界の人々手を組んで 樹てむ平和の理想郷 これぞまことの柔の道 これぞまことの柔の道」。この歌は今,“柔道好き”なあの人物ともども世界への祈りのように私には響いてくる。
柔道家の話をしたい。柔道の”神様“と呼ばれた三船久蔵(1883~1965)講道館十段のことである。三船久蔵は本県(岩手)の久慈市に生まれ,旧制仙台二中(現仙台二高)を卒業後,20歳の時に講道館入門。その創始者・嘉納治五郎に師事し「理論の嘉納、実践の三船」と称され,「隅落し」(通称「空気投げ)技は柔道界に刻印される。
身長159センチ、体重56キロと小柄ながら「柔よく剛を制す 小よく大を倒す」を身もって具現した三船十段は、講道館柔道の「精力善用」と「自他共栄」の二つの理念における講道館史上4番目の十段に到達。講道館入門後も学業を続け,早稲田大学予備科を経て慶応大学部理財科(現経済学部、のちに中退)へと進んでいる。将棋3段,書道5段の有段者でもある。70歳の折に「柔道回顧録」を発刊,はしがきに「いくらか経験もつみ、いくらか修練もかさねている。自分のとぼしい過去をかたることが、多少とも世のためになるということであれば、むげに却けるわけにもゆかない」とされながらも講道館時代,そして本題の「柔道の哲理」では修業上の「綱領五ヶ条」と「習練の心得七ヶ条」を示され,その上に立って,技の錬磨は,科学的に,合理的に研究を積み重ねることであり,すなわち技は「無限」への挑戦―であると語る。
三船十段生誕の地,久慈市は1958年(昭和33)に名誉市民三船久蔵十段を顕彰して「三船久蔵記念館」を開設し,柔道のまちづくりを発信しているが,こうした郷土の先人を誇りに抱く時,一人の人間として精神的にも肉体的にも強くなるには,いかに本気で自分と向き合うか。言うなれば「人間を磨く」,このことは柔道に道を求め,技に命を吹き込む三船十段八十余年の生涯が,まさにそれではなかったのかと思う。
もう40年も前になるが,私が花巻に赴任していた当時,「三船先生の胸をお借りしたことがある」と語る方に会っていた。市内で呉服店を営んでいた伊藤和三郎さん(故人)で,ご自身は講道館7段の有段者。全国商店街振興組合連合会理事などの要職を歴任され,県柔道連盟顧問としても人材育成に尽力された。伊藤さんが私に語ってくれたのは,福島高商(現福島大学)3年の夏期合宿に三船久蔵を招待し,一日6時間,2週間猛特訓を受けたという学生時代のことで,「あの時、体のしんからビリっと響く声が今でも鮮明に蘇ってくる」と時折笑みを浮かべて話されていたことを思い起す。
「一礼して『ヤアッ』と掛け声とともに一歩足を踏み込んだ瞬間、アッという間に投げ飛ばされていた。一瞬のことだった。それがいわゆる『空気投げ』というもので、その当時の三船先生の段位は7段、46歳で、心も技もさえわたっていたころだと思うが、先生の持論である『文武一道』を確立せんがために非常に研究され、自ら学び続ける求道者の姿を見る思いがした。先生は私より3寸小さい5尺3寸(159センチ)、体重15貫(56キロ)、その体から繰り出す威力はまさに神業だった。それは相手を倒すというよりは、相手が倒れるのを手助けして倒す柔道力学。たとえ体が小さくても非力であっても、相手を制する、いわゆる相手のスキをつかんで虚に乗じてその力をフルに利用して相手が倒れるように仕向ける。それが実際,可能なのかと疑問に思ったが、それが先生の根本を成している柔道だと知った。先生は『百戦錬磨の功を積み、七転び八起の妙を得て、解脱の道を悟りなば、変幻自在の球となる』とうたっておられた。このうたはまさしく柔道の極意そのものだと思う」と私のメモにはこう残る。
変幻自在の球となる―その「球」について「柔道回顧録」には,「球」は柔道の根本理念を象徴するものととらえている。いわゆる「球」の重心が常に真ん中にあることから,「球」はいくら転んでも中心を失うこともなく,その動きに無理がなければ変化にも早い。この「球」のごとく人間の体も動きいかんによって「球」であり得る。「押さば回れ」「引かば斜に」という“球の型取り”を編み出し,そこで語られるのは,すべての物体は「いかなる形といえども中心なくしては、その『形』をなさぬ」ものだと。
こうした「三船柔道」を完成する中でも,三船十段は日本の柔道が国際親善の上にも大きな役割を成すとの思いが静かに流れていることを知った。ご自身の「柔道の歌」(作曲・山田耕筰)の三番に「柔の道には国境なく 柔らぐ心に敵はなし 世界の人々手を組んで 樹てむ平和の理想郷 これぞまことの柔の道 これぞまことの柔の道」。この歌は今,“柔道好き”なあの人物ともども世界への祈りのように私には響いてくる。