本物語
第74号 2022.12.10
「日本語」って不思議な言葉ですね!(その17)
松井 洋治
かなり最近まで,私自身も間違って書いていた言葉がある。それは「ご存知のとおり,ご存知ですか? 存知ません」の「存知」で,頂戴する手紙やメールでも,かなり見かける「間違い表記」である。正しくは,いずれも「ご存じ,存じません」と表記しなければならない。早くも反論が聞こえる気がするが,漢字で「存知」という言葉があるために,かつての私がそうであったように,多くの人が「間違いではない」と勘違いしているためだと考えられる。しかし,「存知」は,どんな辞書でも,「知っていること、承知していること」を表わす「名詞」であるが,読み方は「ぞんち」しかない。因みに,手元の「古語辞典」(岩波)の「存じ」の項には「知る」の意で「存知は当て字」とまで明記されている。また,「国語辞典」(角川)には「存じ」の他に「存じ上げる」,「存じがけない」,「存じます」の3項目があるが,言うまでもなく全て「存じ」であり,「存知」ではない。今後とも気をつけたいものである。
ところで,数行前に「かつての私」と書いたついでに,この「かつて」について思い出したことをひとつ。意味は「昔,以前,ある時」などのことだが,頻繁にメールをくれる学生時代からの友人が,必ず「過って」と書いて寄越す。「しばらくは気付かないふりをしていたのだが,余りに「過って」が続くため,彼には「他所で恥をかいて欲しくないから」と,「“かつて”は,漢字では“嘗て、曽て”と書くのが一般的だが、仮名で書く分でも誤字は避けるべきだ。“あやまって”と読まれる可能性だってある」と伝えたところ,「学生時代からこの歳(当時60代)まで、誰ひとり注意もしてくれず、正しいと信じて、もう何十年もずっと“過って”と書いて来て恥ずかしい。注意をしてくれたことに心から感謝!」というメールが届いた。その時はそれで終わったが,最近のテレビでは,芸能人やタレント達だけでなく,本職のアナウンサーまでが「かつて」を「かってない大雨」(小さい「っ」)と勝手に読んでいる。「嘗て,曽て」を読む時の「つ」の字は「小さくない」のが「本来の言い方」だが,ある言語学者の方から,“旧仮名遣いでは、つまる音を小さく書かずに「勝つて、飼つて」と書いて「勝って、飼って」と読んでいた。そこからの類推で,「かつて」も「かって」と読まれたり,書かれたりするようになったのでは? とのご見解を伺ったことがある。
ところで,先般,「夏休みは、我々宿泊産業にとっては、一年中で一番の掻き入れ時なのに、コロナや異常気象による線状降水帯情報などのせいで、キャンセル続きだよ」というボヤキのメールが届いた。しかし「かき入れ時」は「お客の財布のカネを掻き集める」のではなく,「売り上げが伸びて、その数字を帳簿に書き入れるのに忙しい、つまり最も利益のあがる時期」を指す言葉なのだが,バブルの最盛期には,さんざん稼いで,「今期も対前年大幅な増収・増益だよ」と盛んに自慢していた当時を知っているだけに,その経営者にとっての「かきいれ」は,生涯「掻き入れ」だろうと思い,「書き入れ」が正しいことなど,野暮な(?)指摘をするつもりもないままである。
今回は,そうとは気づかずに「誤記」していることが多いと思われる言葉を探しながら書き続けているが,甲子園の高校野球や柔道の試合などで,監督やコーチが選手たちに「カツを入れる」シーンがTVで度々見られる。この「カツ」を漢字では「喝」だと思っている人が最近は多いという話を聞いた。これは,毎週日曜日の某TV番組で,スポーツ選手を褒める場合は「あっぱれ」,批判する場合は「喝」と書いたものを,その項目を書いたパネルの上に貼り付ける場面があり,これが影響しているようだ。正しくは「活を入れる」である。元々「活」は,柔道などで気を失った人の意識を,大声を出したりして取り戻す術のことで,刺激を与えて元気づけたり,大声で気合いを入れたりする意味の言葉であり,一方の「喝」は,禅宗の言葉で,修行者の迷いや眠気を覚ますために僧侶が発する大声,叫び声のこと。大きな声を発する点は共通しているが,「喝」は「入れるもの」ではない。
最後に,最近「気になっている表記」の「みる,おく」について,触れておきたい。ある友人からのメールが「食べてみる,訊いてみる」など「~してみる」という意味の「みる」(「補助動詞」という)の場合,最近は「食べて見る,訊いて見る」となっており,また「触れておく,済ませておく」は「触れて置く,済ませて置く」となっていることだ。当人に訊いてみると,「パソコンが、勝手に変換してしまうだけだ。ただ、実害は何もないし、問題ないのでは?」との返事。確かに,辞書の「みる」の項には「見る」という,「おく」の項には「置く」という「漢字を含めた表記」がされている。しかし,意識してあれこれチェックしてみると,どうやら,公文書や教科書,新聞などでは「~してみる」場合は全て「ひらがな」表記となっているようだ。
日本語って,本当に複雑で難しい言葉ですね。
ところで,数行前に「かつての私」と書いたついでに,この「かつて」について思い出したことをひとつ。意味は「昔,以前,ある時」などのことだが,頻繁にメールをくれる学生時代からの友人が,必ず「過って」と書いて寄越す。「しばらくは気付かないふりをしていたのだが,余りに「過って」が続くため,彼には「他所で恥をかいて欲しくないから」と,「“かつて”は,漢字では“嘗て、曽て”と書くのが一般的だが、仮名で書く分でも誤字は避けるべきだ。“あやまって”と読まれる可能性だってある」と伝えたところ,「学生時代からこの歳(当時60代)まで、誰ひとり注意もしてくれず、正しいと信じて、もう何十年もずっと“過って”と書いて来て恥ずかしい。注意をしてくれたことに心から感謝!」というメールが届いた。その時はそれで終わったが,最近のテレビでは,芸能人やタレント達だけでなく,本職のアナウンサーまでが「かつて」を「かってない大雨」(小さい「っ」)と勝手に読んでいる。「嘗て,曽て」を読む時の「つ」の字は「小さくない」のが「本来の言い方」だが,ある言語学者の方から,“旧仮名遣いでは、つまる音を小さく書かずに「勝つて、飼つて」と書いて「勝って、飼って」と読んでいた。そこからの類推で,「かつて」も「かって」と読まれたり,書かれたりするようになったのでは? とのご見解を伺ったことがある。
ところで,先般,「夏休みは、我々宿泊産業にとっては、一年中で一番の掻き入れ時なのに、コロナや異常気象による線状降水帯情報などのせいで、キャンセル続きだよ」というボヤキのメールが届いた。しかし「かき入れ時」は「お客の財布のカネを掻き集める」のではなく,「売り上げが伸びて、その数字を帳簿に書き入れるのに忙しい、つまり最も利益のあがる時期」を指す言葉なのだが,バブルの最盛期には,さんざん稼いで,「今期も対前年大幅な増収・増益だよ」と盛んに自慢していた当時を知っているだけに,その経営者にとっての「かきいれ」は,生涯「掻き入れ」だろうと思い,「書き入れ」が正しいことなど,野暮な(?)指摘をするつもりもないままである。
今回は,そうとは気づかずに「誤記」していることが多いと思われる言葉を探しながら書き続けているが,甲子園の高校野球や柔道の試合などで,監督やコーチが選手たちに「カツを入れる」シーンがTVで度々見られる。この「カツ」を漢字では「喝」だと思っている人が最近は多いという話を聞いた。これは,毎週日曜日の某TV番組で,スポーツ選手を褒める場合は「あっぱれ」,批判する場合は「喝」と書いたものを,その項目を書いたパネルの上に貼り付ける場面があり,これが影響しているようだ。正しくは「活を入れる」である。元々「活」は,柔道などで気を失った人の意識を,大声を出したりして取り戻す術のことで,刺激を与えて元気づけたり,大声で気合いを入れたりする意味の言葉であり,一方の「喝」は,禅宗の言葉で,修行者の迷いや眠気を覚ますために僧侶が発する大声,叫び声のこと。大きな声を発する点は共通しているが,「喝」は「入れるもの」ではない。
最後に,最近「気になっている表記」の「みる,おく」について,触れておきたい。ある友人からのメールが「食べてみる,訊いてみる」など「~してみる」という意味の「みる」(「補助動詞」という)の場合,最近は「食べて見る,訊いて見る」となっており,また「触れておく,済ませておく」は「触れて置く,済ませて置く」となっていることだ。当人に訊いてみると,「パソコンが、勝手に変換してしまうだけだ。ただ、実害は何もないし、問題ないのでは?」との返事。確かに,辞書の「みる」の項には「見る」という,「おく」の項には「置く」という「漢字を含めた表記」がされている。しかし,意識してあれこれチェックしてみると,どうやら,公文書や教科書,新聞などでは「~してみる」場合は全て「ひらがな」表記となっているようだ。
日本語って,本当に複雑で難しい言葉ですね。