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本物語

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第74号 2022.12.10

戦中戦後,生き残った老女のひとり言(その2)

鈴木 雅子

 私の子供時代はほぼ戦争中だった。当時は男女別学,女の子達は敗色濃くなっても多分みんな日本は勝つのだと信じて暮らしていたと思う。とにかく女子は女学校を出てお茶やお花を習って花嫁修業をしてお嫁にゆくものだと思っていた。「大きくなったら何になるの?」と聞かれると「お嫁さんになる」と無邪気に答えていたものだ。敗戦後,女性も男子なみに大学に進学できるようになって,旧制のT女子大に在学中だった私は,女子大の先輩がT大に合格したと聞き,私も受験してもっと勉学を続けたいと思ったのだが、母は,娘はともかく結婚させるのが親の務めと思っていたらしいから勿論反対。先生の入れ知恵で,親には聴講生の試験を受けると嘘をついて大学を受けたのだった。だから私は友達のように予備校にも行けず,家で独り勉強するより他なかったのだが,何と運よく合格してしまったのだった。合格と聞いて理学部出の兄は,文学部はやさしいんだよと言っていたが……。母からは良い縁談があったら退学する事と約束させられ,お隣の奥様からは冷たく「もう雅子さんは結婚は出来ませんね」と言われ,女子大の先生以外,多分あまり祝福されない合格だったと思う。あの頃はゆかず(・・・)後家(・・)(ごけ)(もしかして母の故郷・金沢の方言か)という言葉もあったし……女は結婚して舅姑や夫にかしづくべきだという考えが普通だったのであろう。しかし結局は縁談とは無縁で三年過ぎ,何とか卒業させてもらえたのであった。先生方,研究室の先輩方,一緒に学んだ仲間達に囲まれた三年間は,私にとって忘れられない大切な,思い出のつまった年月であった。今の時代の方々は不思議に思われるかもしれないが,旧制度で育った私どもは,大学入学によって初めて男性と机を並べ,一緒に学んだのである。大学側もトイレットなど女性用を新たに設けたり,いろいろ大変だったろう。(戦前も東北大,京大など僅かの大学が女性も受験できたもので、女子大の女性の先生方は東北大を出ておられた。)研究発表会の前に,次の人に連絡する用ができ,初めて意を決して男子に話しかけた時,一斉に皆に注目され恥ずかしかった事を覚えている。私は国語学研究室に日参していたのだが,たまたま国語学を学ぶ女子学生が三人いたのでそれは心強かった。ともかく始めの頃は男女とも互いに口をきく事さえ恥ずかしく勇気のいる時代だったのである。
 さて何とか卒業はできたが,兄には大学出の妹なんかがいると僕に嫁さんの来手(きて)がないなどと言われ,それなりのつらさは続く…。その後一緒に学んだ仲間から,一生一緒に勉強してゆこうと誘われた。相手は戦争中海軍にとられていたので少し年上,少尉か中尉くらいだったか。飛行機事故で傷痍軍人徽章を持っていて,戦後,文学部なら戦争とは関係ないと思ったからと言っていた。その頃,彼は海軍の軍服,陸士出の人は陸軍の軍服を着ていた。私はと言えば母の和服を自分で洋服らしく仕立て直して着ていたものだ。彼は新宿から小田急で約一時間,川崎市のはずれ,田圃の上の方の家で,電気はきていたがガスも水道もまだ無く,近くの湧き水を引き,近くに魚屋はあったが肉屋も本屋もなく,時たま野兎を撃って仕とめた人が売りに来ると肉が口に入るというような所だった。当時私は,私立の女子校の教師をしていて,荻窪から中央線で一直線だったそれまでと違い,小田急で新宿へ出,中央線に乗りかえて一時間ほどかけて通うのは大変だった。妊娠後は殊にきつかったが,女子校の先生達は,子供はお姑さんに見てもらえばいいのよと事もなげに助言してくれるのだった。だがサラリーマンの家との違いは天と地ほど。田植え・お茶摘みなどの時はもと小作人の人達や親戚の人々が手伝いに来る。その人達の昼食や済んだあとの御馳走など,女達はその用意や接待で忙しい。男達は座敷でお酒を呑み田舎料理に舌鼓をうち,小さい乍ら宴会だ。あゝこの時間に調べ物や書いたり出来るのに,と私は心中,口惜しく,何でこんな生活に甘んじなければならないのかと,よく調べもせずに結婚してしまった失敗の人生を呪った。
 毎日の炊事は,ガスは無いから御飯は薪を燃やして外で炊く。煙にまかれて目が赤くなり眼科通い。生家では夏休みに山中湖の山荘で枯木を集めて炊事をしていたので,初めはさほど驚かなかったが,一年中となるとそれは大変だった。おしゃもじは姑が握っているのでお弁当は御飯だけは姑が朝炊いて弁当箱につめてくれるが,おかずは私が出先で買ってきた佃煮をいれてある位なので,あとは町で買った物等をつけ足した。或る時東京に住む夫の従弟が友人達を招いて(勿論ガスで煮炊きした)ご馳走での遊興の様子に,この違い,何で?と口惜しさに,心中煮え返るようだった。だからその後夫が甲府の大学に行く事になり転居できて面倒な田舎の生活から解放され,とても嬉しかった。(遠くへの転居の為退職。「その③」につづく)
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