本物語
第74号 2022.12.10
マリの村で聞いた女性の結婚
村上 一枝
ある日,バマコ(マリ共和国首都)の私のアパートに友人が訪ねて来た。久しぶりの再会だったのでクッキーと紅茶でもてなした。その紅茶に彼女は大匙4杯くらいのたくさんな砂糖を入れて飲んでいた。その量にいささか驚いた私は「甘いのが好きなの?」と聞くと「あまり好きじゃないけど,甘くして飲むのは主人の為なの」と言う。なぜ?と更に尋ねると,「私が太っていることは主人が十分に食べ物を与えていて幸せであるという証拠だから」と言う。マリでは奥さんが子供をたくさん産み,一生懸命に働くことが良い女性であるということは聞いていた。しかし,奥さんが太っていることが夫婦の幸せのバロメーターであるとは,思いがけない理由であった。
マリでの結婚式は2度行うのが正式だという。最初の式は両家の両親(親戚も加わると思うが)だけがモスクで宗教上の結婚式を行い,花嫁と花婿は参加しない。2度目の結婚式は花嫁・花婿も参加して再度モスクで式を挙げて,直ぐに日本でいう区役所へ行き,区長の前で結婚届を出す。その時に区長は花婿に「あなたは生涯一人の奥さんにしますか,それとも複数の奥さんにしますか」と大勢の人の面前で尋ねる。周囲には家族や親族に交じってグリオ(日本では吟遊詩人と訳。文字の無かった西アフリカで楽器を奏でながら伝統的な事柄を歌い伝えていく人たちで,旧家ではその家系を物語ってくれ,専属のグリオがいる。)が居て賑やかであり,とても厳粛な結婚式とは言えない。花婿は区長の質問に「一人です」と答えるが,それを守る男性は少ない。近年,都会の若者たちは今週結婚して来週には離婚するカップルが多く,区役所に結婚届を出すと,慰謝料を支払う義務が生じるのでモスクだけでの結婚式が流行っているという。しかし,それでも結婚と認められているから不思議である。私の活動地域の村では2度も結婚式が行われているという情報を聞いたことはない。
私がマディナ村でボランティアをしていた時代,親しくなった女性に彼女の結婚について尋ねた。彼女は17歳(1967年)にワソロ村から夫に見染められ第二夫人としてマディナ村へ嫁に来たという。この女性の夫には第3,第4夫人がいる。
マリの伝統的で一般的な結婚は,先ず両家の両親が幼い息子と娘を許嫁として決める。少女が12歳頃には結婚教育,嫁としての心構えを母親から教わる。そして15歳になると許嫁の下へ嫁入りするのである。母親の教育は,「嫁ぎ先で夫を拒むと夫の母親に追い出されること,義父母や義兄弟・姉妹に従い,家庭内の問題は最小限に止め,金銭的な苦労が親に追い出されること,義父母や義兄弟・姉妹に従い,家庭内の問題は最小限に止め,金銭的な苦労があっても我慢すること。どうしても離婚したいと思ったら実家の両親が話し合いに行く。」と厳しく教育される。
結婚の日は,夫となる家族の老婦人が迎えに来て嫁ぎ先へ導く。嫁ぎ先へ着いたら,村長宅へ家長に連れられて挨拶に行き,村長から嫁の心構えを言われるのである。
私は,村に行く途中,嫁入り行列に出会うことが時々ある。沢山の嫁入り道具を何人もの人が頭に高く積んでの花嫁行列である。ニジェール川を太鼓をたたきながら何艘もの船を従えて進む花嫁行列もある。これらは見た目にも嬉しく素敵な光景である。しかし,嫁に来て2,3年経っても子供が生まれない場合は,親族会議で第二夫人が決められ,夫が「第二夫人はいらない」と言っても,親族一同が聞き入れないという。多くの男性や親族にとって第二夫人を貰うのはステータスなのである。第一夫人は「お姉さん」と呼ばれるようになるが心中穏やかではなく,第二夫人が嫁に来る日は彼女は旅に出かけて何日も留守にしている。私の知っている人は1年近くも留守にしていた。複数の妻は同じ敷地内に住み,なぜか2日半のローテーションで夫に仕える。他の夫人たちはそれぞれが洗濯専門や調理専門と自由な日々・時間となる。第二夫人の産んだ赤ちゃんの命名式の日には,第一夫人が背中に首の座っていない赤ん坊を背負ってダンスをし,生みの親はお手伝いさんのように働いている。それが伝統的な祝いである。イスラム教の国では複数の妻を持つことが許されてはいるが,4人の妻たちの間では不満や感情の行き違いが生じるのは当然のことである。反面「私の夫は4人の妻を持っているのよ」と誇る妻もいるので本心は理解できない。しかし,マリの男性の名誉にかけて言うと,すべての男性がそのようではなく,現地スタッフの一人は第二夫人の息子で「母の遺言は,決して複数の妻を持たないように,ということだった。だから私の妻は一人だ」と言っていた。
結婚は幸せでおめでたいはずであるが,アフリカの女性の気持ちを察すると悲しく侘しくなる。私は,マリの女性達が不満な立場のままにあきらめることなく,彼女たちに秘められている才能を充分に発揮して収入を得,力をつけ自立して意識を変え,自分を大切にして生きてほしいと願っている。私はそれを願って支援を続けている。
マリでの結婚式は2度行うのが正式だという。最初の式は両家の両親(親戚も加わると思うが)だけがモスクで宗教上の結婚式を行い,花嫁と花婿は参加しない。2度目の結婚式は花嫁・花婿も参加して再度モスクで式を挙げて,直ぐに日本でいう区役所へ行き,区長の前で結婚届を出す。その時に区長は花婿に「あなたは生涯一人の奥さんにしますか,それとも複数の奥さんにしますか」と大勢の人の面前で尋ねる。周囲には家族や親族に交じってグリオ(日本では吟遊詩人と訳。文字の無かった西アフリカで楽器を奏でながら伝統的な事柄を歌い伝えていく人たちで,旧家ではその家系を物語ってくれ,専属のグリオがいる。)が居て賑やかであり,とても厳粛な結婚式とは言えない。花婿は区長の質問に「一人です」と答えるが,それを守る男性は少ない。近年,都会の若者たちは今週結婚して来週には離婚するカップルが多く,区役所に結婚届を出すと,慰謝料を支払う義務が生じるのでモスクだけでの結婚式が流行っているという。しかし,それでも結婚と認められているから不思議である。私の活動地域の村では2度も結婚式が行われているという情報を聞いたことはない。
私がマディナ村でボランティアをしていた時代,親しくなった女性に彼女の結婚について尋ねた。彼女は17歳(1967年)にワソロ村から夫に見染められ第二夫人としてマディナ村へ嫁に来たという。この女性の夫には第3,第4夫人がいる。
マリの伝統的で一般的な結婚は,先ず両家の両親が幼い息子と娘を許嫁として決める。少女が12歳頃には結婚教育,嫁としての心構えを母親から教わる。そして15歳になると許嫁の下へ嫁入りするのである。母親の教育は,「嫁ぎ先で夫を拒むと夫の母親に追い出されること,義父母や義兄弟・姉妹に従い,家庭内の問題は最小限に止め,金銭的な苦労が親に追い出されること,義父母や義兄弟・姉妹に従い,家庭内の問題は最小限に止め,金銭的な苦労があっても我慢すること。どうしても離婚したいと思ったら実家の両親が話し合いに行く。」と厳しく教育される。
結婚の日は,夫となる家族の老婦人が迎えに来て嫁ぎ先へ導く。嫁ぎ先へ着いたら,村長宅へ家長に連れられて挨拶に行き,村長から嫁の心構えを言われるのである。
私は,村に行く途中,嫁入り行列に出会うことが時々ある。沢山の嫁入り道具を何人もの人が頭に高く積んでの花嫁行列である。ニジェール川を太鼓をたたきながら何艘もの船を従えて進む花嫁行列もある。これらは見た目にも嬉しく素敵な光景である。しかし,嫁に来て2,3年経っても子供が生まれない場合は,親族会議で第二夫人が決められ,夫が「第二夫人はいらない」と言っても,親族一同が聞き入れないという。多くの男性や親族にとって第二夫人を貰うのはステータスなのである。第一夫人は「お姉さん」と呼ばれるようになるが心中穏やかではなく,第二夫人が嫁に来る日は彼女は旅に出かけて何日も留守にしている。私の知っている人は1年近くも留守にしていた。複数の妻は同じ敷地内に住み,なぜか2日半のローテーションで夫に仕える。他の夫人たちはそれぞれが洗濯専門や調理専門と自由な日々・時間となる。第二夫人の産んだ赤ちゃんの命名式の日には,第一夫人が背中に首の座っていない赤ん坊を背負ってダンスをし,生みの親はお手伝いさんのように働いている。それが伝統的な祝いである。イスラム教の国では複数の妻を持つことが許されてはいるが,4人の妻たちの間では不満や感情の行き違いが生じるのは当然のことである。反面「私の夫は4人の妻を持っているのよ」と誇る妻もいるので本心は理解できない。しかし,マリの男性の名誉にかけて言うと,すべての男性がそのようではなく,現地スタッフの一人は第二夫人の息子で「母の遺言は,決して複数の妻を持たないように,ということだった。だから私の妻は一人だ」と言っていた。
結婚は幸せでおめでたいはずであるが,アフリカの女性の気持ちを察すると悲しく侘しくなる。私は,マリの女性達が不満な立場のままにあきらめることなく,彼女たちに秘められている才能を充分に発揮して収入を得,力をつけ自立して意識を変え,自分を大切にして生きてほしいと願っている。私はそれを願って支援を続けている。