本物語
第74号 2022.12.10
宇治の文学碑を歩く( その7)
岡本 崇
2020年1月13日,坂東史朗氏と初詣を兼ねて7度目の文学碑巡りに出かけた。福寿園の宇治茶工房(宇治川朝霧橋袂)で待ち合わせ。福寿園の福井社長の家は,我が家の近くにあり,社長の息子と私の孫達が同じ幼稚園へ一緒に電車通園した事があった。宇治茶を飲んで休憩した後,すぐ近くの宇治神社へ初詣した。
▼宇治(うじ)神社(じんじゃ)(京都府宇治市宇治山田)…隣接する宇治上神社とは対をなす。祭神は第15代応神天皇の皇子。天皇に寵愛され皇太子に立てられたものの,異母兄の仁徳天皇に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られる。坂東氏が堺市で仁徳天皇陵のガイドをしていた。我が祖,千葉一族に繋がる桓武天皇の先祖は,彼らの弟筋にあたるといわれるので興味深く参拝。
▼宇治上(うじかみ)神社(じんじゃ)(京都府宇治市宇治山田)…ユネスコの世界遺産に登録されている。祭神は 応神天皇(桓武天皇の祖)・仁徳天皇など。 宇治上神社の前の「さわらびの道」を「源氏物語ミュージアム」方向に進むと,与謝野晶子の歌碑「晶子詠歌宇治十帖歌碑」がある。晶子の真筆により書かれている10首を下に紹介する。
▼与謝野晶子…1924(T13),夫と共に宇治を訪れる。晶子は,特に『源氏物語』の魅力に惹かれ,紫式部に私淑。そして,『源氏物語』の現代語訳に取り組む。
●22.橋姫 しめやかに 心の濡れぬ 川ぎりの 立舞ふ家は あはれぬるかな
薫が宇治の八の宮の山荘を訪れる場面を詠んでいる。45帖
●23.椎が本 朝の月 涙の如し 真白けれ 御寺(みてら)のかねの 水わたる時
八の宮逝去の知らせが届いた場面を詠んだもの 46帖
●24.総角(あげまき) こころをば 火の思ひもて 焼かましと 願ひき身をば 煙にぞする
薫の宮が恋い焦がれた大君を火葬の煙とする悲しみを詠んだもの 47帖
●25.さわらび さわらびの 歌を法師す 君に似ず よき言葉をば 知らぬめでたさ
春が来て,傷心の中の君のもとへ阿闍梨から春の山菜が送られてきた場面 48帖
●26.宿り木 あふけなく 大御女を いにしへの 人に似よとも 思ひけるかな
婚約に際して,大君に対する薫の思いを詠んだもの 49帖
●27.東屋(あずまや) ありし世の 霧きて袖を 濡らしけり わりなけれども 宇治近づけば
薫が浮舟を連れて宇治に近づく場面 50帖
●28.浮舟 何よりも 危きものと かねて見し 小舟の上に 自らをお
浮舟が匂宮に抱えられて小舟に乗った場面 51帖
●29.蜻蛉(かげろう) ひと時は 目に見しものを かげろふの あるかなきかを しらぬはかなさ 薫の浮舟へのはかない思いを表したもの 52帖
●30.手習 ほど近き 法の御山を たのみたる 女郎花(おみなえし)かと 見ゆるなりけれ
出家を思う浮舟を詠んだもの 53帖 法の御山=比叡山
●31.夢の浮橋 明くれに 昔こひしき こゝろもて 生くる世もはた ゆめのうきはし 浮舟の思いを詠んだもの 54帖 うきはし=浮き=憂き=宇治橋
▼32.大吉山のぼり口の万葉歌碑…巻13(3236)大和の国から宇治を通って近江へ向 かう道行の歌。「大和の国の奈良山を越えて、山城の管(つつ)木(き)の原や、宇治川の渡し場や滝の屋の阿後(あご)尼(ね)の原をいついつまでも通い続けようと、山科の石田の神に、幣(ぬさ)を捧げて私は越えて行く、相坂山(あふさかやま)を」と訳す。
滝の屋→1km木幡(こばた)(京阪線の駅名は「こわた」,JRの駅名は「こはた」。90歳の私の義父が住む所)→3km石田→8km逢坂山→1km大津。
▼33.大吉山の見晴らし台の傍の万葉歌碑…「妹らがり 今木の嶺に 茂り立つ 嬬松の木は 古人見けむ」 古人(ふるひと)=宇治若郎子(うじのわきいらつこ):応神天皇が木幡で出会った娘と結婚してできた皇子。皇子の宮所(宇治上神社)で作った第九挽歌。今木の嶺=朝日山「愛しい人の所へ今来た」という意味と同じ「今木」の嶺、そこに茂りたっている「嬬を待つ木」という意味の松の木を古人は見たのだろうか。
▼末(ま)多武利(たふり)神社(じんじゃ)(京都府宇治市又振)…772年 井上内親王が廃され,光仁天皇と井上内親王との子である他戸親王も連座して廃太子となり,皇太子に桓武天皇を立てる。これら一連の事件は藤原百川の暗躍によるものとされる。この藤原百川の4代後の,藤原忠文が祀られている神社。藤原百川の墓は木津川市にあり,井上内親王と他戸親王の墓が奈良県五條市御山町にあり,井上内親王・早良親王・他戸親王を祀る御霊神社が五條市霊安寺町にあり,御霊が転じて五條となったという説もある。
帰路は宇治橋の袂の「京料理 宇治川旅館 宇治」で,登山して来た「大吉山」を眺めながら坂東氏と新年会を兼ねて一杯。 (続く)
▼宇治(うじ)神社(じんじゃ)(京都府宇治市宇治山田)…隣接する宇治上神社とは対をなす。祭神は第15代応神天皇の皇子。天皇に寵愛され皇太子に立てられたものの,異母兄の仁徳天皇に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られる。坂東氏が堺市で仁徳天皇陵のガイドをしていた。我が祖,千葉一族に繋がる桓武天皇の先祖は,彼らの弟筋にあたるといわれるので興味深く参拝。
▼宇治上(うじかみ)神社(じんじゃ)(京都府宇治市宇治山田)…ユネスコの世界遺産に登録されている。祭神は 応神天皇(桓武天皇の祖)・仁徳天皇など。 宇治上神社の前の「さわらびの道」を「源氏物語ミュージアム」方向に進むと,与謝野晶子の歌碑「晶子詠歌宇治十帖歌碑」がある。晶子の真筆により書かれている10首を下に紹介する。
▼与謝野晶子…1924(T13),夫と共に宇治を訪れる。晶子は,特に『源氏物語』の魅力に惹かれ,紫式部に私淑。そして,『源氏物語』の現代語訳に取り組む。
●22.橋姫 しめやかに 心の濡れぬ 川ぎりの 立舞ふ家は あはれぬるかな
薫が宇治の八の宮の山荘を訪れる場面を詠んでいる。45帖
●23.椎が本 朝の月 涙の如し 真白けれ 御寺(みてら)のかねの 水わたる時
八の宮逝去の知らせが届いた場面を詠んだもの 46帖
●24.総角(あげまき) こころをば 火の思ひもて 焼かましと 願ひき身をば 煙にぞする
薫の宮が恋い焦がれた大君を火葬の煙とする悲しみを詠んだもの 47帖
●25.さわらび さわらびの 歌を法師す 君に似ず よき言葉をば 知らぬめでたさ
春が来て,傷心の中の君のもとへ阿闍梨から春の山菜が送られてきた場面 48帖
●26.宿り木 あふけなく 大御女を いにしへの 人に似よとも 思ひけるかな
婚約に際して,大君に対する薫の思いを詠んだもの 49帖
●27.東屋(あずまや) ありし世の 霧きて袖を 濡らしけり わりなけれども 宇治近づけば
薫が浮舟を連れて宇治に近づく場面 50帖
●28.浮舟 何よりも 危きものと かねて見し 小舟の上に 自らをお
浮舟が匂宮に抱えられて小舟に乗った場面 51帖
●29.蜻蛉(かげろう) ひと時は 目に見しものを かげろふの あるかなきかを しらぬはかなさ 薫の浮舟へのはかない思いを表したもの 52帖
●30.手習 ほど近き 法の御山を たのみたる 女郎花(おみなえし)かと 見ゆるなりけれ
出家を思う浮舟を詠んだもの 53帖 法の御山=比叡山
●31.夢の浮橋 明くれに 昔こひしき こゝろもて 生くる世もはた ゆめのうきはし 浮舟の思いを詠んだもの 54帖 うきはし=浮き=憂き=宇治橋
▼32.大吉山のぼり口の万葉歌碑…巻13(3236)大和の国から宇治を通って近江へ向 かう道行の歌。「大和の国の奈良山を越えて、山城の管(つつ)木(き)の原や、宇治川の渡し場や滝の屋の阿後(あご)尼(ね)の原をいついつまでも通い続けようと、山科の石田の神に、幣(ぬさ)を捧げて私は越えて行く、相坂山(あふさかやま)を」と訳す。
滝の屋→1km木幡(こばた)(京阪線の駅名は「こわた」,JRの駅名は「こはた」。90歳の私の義父が住む所)→3km石田→8km逢坂山→1km大津。
▼33.大吉山の見晴らし台の傍の万葉歌碑…「妹らがり 今木の嶺に 茂り立つ 嬬松の木は 古人見けむ」 古人(ふるひと)=宇治若郎子(うじのわきいらつこ):応神天皇が木幡で出会った娘と結婚してできた皇子。皇子の宮所(宇治上神社)で作った第九挽歌。今木の嶺=朝日山「愛しい人の所へ今来た」という意味と同じ「今木」の嶺、そこに茂りたっている「嬬を待つ木」という意味の松の木を古人は見たのだろうか。
▼末(ま)多武利(たふり)神社(じんじゃ)(京都府宇治市又振)…772年 井上内親王が廃され,光仁天皇と井上内親王との子である他戸親王も連座して廃太子となり,皇太子に桓武天皇を立てる。これら一連の事件は藤原百川の暗躍によるものとされる。この藤原百川の4代後の,藤原忠文が祀られている神社。藤原百川の墓は木津川市にあり,井上内親王と他戸親王の墓が奈良県五條市御山町にあり,井上内親王・早良親王・他戸親王を祀る御霊神社が五條市霊安寺町にあり,御霊が転じて五條となったという説もある。
帰路は宇治橋の袂の「京料理 宇治川旅館 宇治」で,登山して来た「大吉山」を眺めながら坂東氏と新年会を兼ねて一杯。 (続く)