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本物語

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第74号 2022.12.10

プロフェッショナル ‼

小野寺 晟一郎

 過日,NHKの深夜放送で,一人の観光バスの運転手さんが,数十年の運転業務に於いて一人も車に酔わせなかった,との放送がありました。実は,私も,ハンドル人生六十三年,バス,タクシーの運転業務に就いておりましたが,お客様を酔わせた記憶はありません。車酔いについては,ある医療関係者の説によりますと,原因は三つあり,第一は運転者のテクニックによるもの。これが全体の70%。次が車内の臭い等。これが20%で,残りの10%は体質的なものだそうです。また,酔いやすい人は発車時と一回目のブレーキ使用で酔気を感じるといわれております。ですから,先ずは発車時のクラッチの接続をスムーズに行うことです。但し,半クラッチは注意しないとクラッチのスベリを誘発します。ガクンとショックを受けないように特に一回目のブレーキを上手に使うようにします。そうしますと酔いやすい人の車酔いも防げます。

 私の“車酔い無しの運転”に関して2,3のエピソードを記してみたいと思います。
先ず,青森県の恐山に行った時のことでした。恐山への行程はお客さんの料金の負担を軽くするために高速道路を使わず,夜行で一般国道を走りますが,東北の道路はカーブや坂路が多くてとても気を遣って走ります。ある日,一行の中に老姉妹が大きなゴミ袋を持って乗車してきました。私は,大きなゴミ袋持参なんて良く気の付く姉妹だ,と思いながら発車しました。そして無事に恐山に到着。参拝を終えての帰り道,途中のサービスエリアで件の姉妹二人が「娘に電話してくる。」と降車。数分して笑顔で帰って来て,「娘にびっくりされた」と言う。「旅に出るといつも車酔いで,途中で電話をくれてもグタッとなって話もできないほどなのに,今日は全然平気。本当に恐山まで行ってきたの」と言われたと。「酔わない旅はこんなに楽しいんだ」とも。この老姉妹はその後の参拝に数年参加してくれました。
 次もバスでの話です。気仙沼から横浜に行った時のことです。長距離だから運転手は2名にということで他社から1名,Aさんを派遣して頂き,私と2名の運転手。先発はAさん。高速道路に入るとローリングの始まり,車体はグラグラ。Aさんは修正しようと必死にハンドルを操作するもおさまらず,パーキングに入って私と交代。その途端,あばれ馬がおさまったようにスイスイ。Aさんもお客さんもビックリ。「あれ,真っ直ぐ走るんですね。全然揺れませんね」と感心しきりでした。
 今度はタクシーでのことです。ある日の夕方,気仙沼市南町の振商会通りでのこと。一人の和装の女性に呼び止められ,「一関まで,いいですか」。「どうぞどうぞ」とドア
を開けると,「お願いがある」と。「何ですか」と言うと,「私,車に弱いの。盛岡から来たのだけど,来るとき列車とバスに酔ってしまい,具合悪くなって大変だったの。酔わせないで行ってほしい」と。何でも,気仙沼で3台ほどのタクシーに声掛けしたけれど「自信がない」と断られたそうです。「大丈夫ですよ」と言って,1時間ちょっとで一関駅着。これも道路の状況,カーブや凹凸轍に気を配り,車体を揺らさないよう工夫をしながら走りましたのでお客さんが酔うこともなく,大変感謝されました。
 また,こんなことも。東日本大震災直後のことでした。NHK仙台局のS記者が「仙台まで大至急」と乗車。乗車後もそわそわ。どうしましたと声を掛けると,「原稿を渡すのが局の締め切りに間に合わない。車内でパソコンを打てれば間に合うのだが打つと酔ってしまうからね」と。大丈夫ですよ,安心してパソコンを打ってみてくださいと促して走行。気仙沼・仙台間は何度も走っておりましたので道路の状況は十分に承知しておりましたが,だからといって気を抜くことなく道路状況を確認しながら走りました。その車内でS記者はパソコンで原稿の送付が無事終了。余裕を持って局に到着しました。S記者にはその後ずうっと指名で乗っていただきました。

 バスやタクシーでお客様が車酔いしない運転について記してきましたが,何といってもお客様に安全安心感を持って乗っていてもらえるような運転をすることが第一です。それには実際に走っている際の道路の具合や他の車や歩行者などに対する注意はもちろん欠かせませんが,自分の乗る車を熟知し整備清掃をしっかりやること,他の車や周りの歩行者等が不測の状況になった場合の防御についても考えて備えらなければなりません。私はその上に眠気覚ましのメガシャキ(大方の人は「そんな物」とあなどりますが,これがあれば防げた事故が幾多もあります)をいつも携行します。
 私は,こうしたことができてはじめて“プロのドライバー”と言えるものと思っており,私自身もそれになることができたものと思っておりますが,これも優れた先輩達のご指導のお陰です。感謝のハンドル人生でした。
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