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本物語

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第74号 2022.12.10

「君、かたえにありて齢を重ねよ―」

小西 忠人

 とにかく精力的な勉強家だったという。作家,野村胡堂は明治15年10月,岩手県紫波郡大巻村(後の彦部村,現紫波町大巻)に生まれた。本名長一。盛岡中学,一高,東京帝大(仏法)に進み,父の死により卒業前に中退。その後,報知社(後の報知新聞社)に入社。昭和17年の新聞統合が行われるまで30年間,新聞人として歩む。
 胡堂の賢夫人として知られた橋本(旧姓)ハナは,胡堂より6歳下の同じ彦部村に生まれた。県立高女から日本女子大附属高女を経て同大学教育学部に進み,結婚後,母校の日本女子大附属高女の教員として,理科・西洋史・東洋史・生理を受け持つ。
 胡堂は今年生誕140年の節目に当たり,来年は没後60年を迎えるが,生涯に「銭形平次捕物控」を含め,684編の作品を書き残し,700冊以上の著作を刊行。ライフワークにされた銭形平次シリーズは27年間一度も休むことなく書き続け、眼疾悪化により75歳で筆を置くまでに長・中・短編合わせて383話を発表。「胡堂」の筆名を用いたのは,大正3年報知新聞政治面の人物評論「人類館」からで,空想科学小説,少年少女小説,「三万両五十三次」の時代小説など幅を広げ,その一方で「あらえびす」の筆名でレコード音楽評論を手掛ける。胡堂はまた,日本屈指のコレクターと称され,およそ1万枚のSPレコードをはじめ,広重の浮世絵,書画,武鑑など広範囲に及ぶ。以上が,作家・音楽評論家として盛名をはせた我が郷土の先人,その妻の略歴である。
 胡堂の生家が眺望できる小高い丘に建つ,町立「野村胡堂・あらえびす記念館」は平成7年6月に開館。館内は,展示室,あらえびすホール,特別資料室などで構成され,人間・野村胡堂を多角的に発信している。その展示室で私が気に止めたのが,
     「君、かたえにありて齢を重ねよ 昭和二年降誕祭 長一」
とハナ夫人に聖書をクリスマスプレゼントにしたためた胡堂の献辞のパネルが掲げられていることだった。胡堂と歩んだハナ夫人に記念館は「長一は敬けんなクリスチャンだったハナに聖書を贈り、ハナはそれを生涯の宝にした。長一にとって、ハナは無二の親友であり、恋人であり、理想の妻であった。夫に思う存分に収集させるために教壇に14年立って家計を守った。事あれば熟考を重ね、よりよい解答を出した。平次の恋女房お静にはハナの大きな影が落ちている」と在りし日の夫人を見つめている。
 もう40年も前の話になるが,胡堂の母校彦部尋常小学校(現彦部小)へ昭和15年に赴任されたという元教諭の葛西道之さん(故人)から,私は先人にまつわる話を伺っていた。そのメモを捨てずにいた自分に驚くばかりだが,その話はこうだった。
 「胡堂さんが長編小説『三万両五十三次』を報知新聞に連載し、その小説が博文館から文庫本として出版され、5冊目まで手にしていたが、完結編の6冊目がどうしても手に入らず、気をもんでいた矢先、胡堂さんの実家から『うちにあるので』と話があって、やっと完結編を読むことが出来た」ことから始まった。「確か、初夏のころだったと思うが、胡堂さんが盛中(現盛岡一高)の創立60周年記念に講演されるため紫波町に帰って来ることになっていた。胡堂さんの弟の耕次郎さんから『今晩、兄がいるので』と連絡を受け、三田地敏夫校長と二人で出掛け、これがお会いするきっかけになった。実に気さくな方で、“銭形平次”親分のような粋でスマートな感じでなかったが、作家・音楽評論家の第一人者たる風格と、その分野での気骨さを感じた」。
 「その晩の話に、盛中時代の名物先生で鳴らした宮田正一郎さんに教わった話が出、私が『宮田先生の数学と銭形平次捕物控と、どこか関係があるんですか』と尋ねると胡堂さんは『特別ないが、あれ(小説)は数学の方程式を解くようなもので、その意味では先生のご恩があるのかな』と笑っておられた。その後、小説『三万両五十三次』の裏話に及んだ。東京―京都間の街道描写はもっぱら奥さんだったらしく、『あの小説は家内との合作だ』と奥さんの“労”を忘れなかった。年に二回、本、レコードを郷里に届け続け、奥さんがその宛て名書きや荷造りをされたそうだ。それもこれも夫婦そろって同郷の彦部出身者、人一倍、郷里を慕う気持ちが強かったと思う」と結んだ。
 葛西さんは触れなかったが、胡堂略年譜を眺めて思うのは,胡堂夫妻が歩んだ道は淡々としてはいなかったことだった。その一つには,胡堂の父が村長時代に推進した産業振興事業に失敗し,その責任を取って父が自分の財産を放棄したため多額の借財を残し,父の死後,胡堂夫妻がその借財を20数年掛かって完済していた。その借財返済の間には,4人の子供のうち長女,長男が先立ち,完済後には次女までもが逝くという悲運に襲われている。そうした胡堂夫妻の道程には苦難と悲哀が刻まれていた。
 昭和38年4月14日,胡堂は,野村学芸財団成立を見届けて享年80歳の生涯を閉じ,その5年後の12月25日,ハナ夫人は夫と仲良く同じ80年の人生を終えた―。
 ※参考資料/「野村胡堂・あらえびす調査会=編纂者」,「胡堂伝」(外崎菊敏著)。
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