本物語
第75号 2023.3.11
〈花物語〉 冬 牡 丹
小櫃 蒼平
俳人森川許六の選になる『百花ノ譜』に「冬牡丹のしやれ過ぎたる。(たとへば大津伏見など。分内狭き町の遊女町。工商の家ゐ軒をならべ。打ち交じりたれば。)白地のむすめども。 傾国の風俗を見習ひ(養父入(やぶいり)。生身玉の里がへりにしやれを盡し)。 一向遊女の立振舞に似たれば。両親いかばかり悲しと制しつらむ。時と所をしらざるは。大きなるいき過ぎならむ」とある。堅気のむすめが遊女の風俗を真似て親を悲しませるのを行き過ぎだと冬牡丹にかけて嗜めている。冬牡丹は鑑賞用に春牡丹を改良し,季節に適応させた変種ときく。花は自然の季にしたがうのがよい,とわたしは考える。しかしそれにしても,むすめたちの風俗への関心が今も昔も変わらないのはおもしろい。
唐突だが,道元の『正法眼蔵』に「薪は薪の法位に住し」「灰は灰の法位にありて」 ― それぞれ「さきありのちありといへども、前後際斷せり」とある。「前後際斷」しているが故に「生も一時のくらゐなり。
死も一時のくらゐなり」ということになる。牽強附会になるが,牡丹は春(初夏)の「くらゐ」。「冬牡丹」と名づけ,季を移し,「しやれ過ぎ」の衣をまとわせずともよいのではないか ― とわたしなどは考えるが,しかし色彩が乏しくなる冬の季節,寒風除けの菰で覆われて美しく咲く姿は,もはや冬の風物詩。ならばそれはそれでひとつの「くらゐ」とおもえば,わたしの屁理屈などお節介というものか ― 。
若いころ,奈良の長谷寺,当麻寺の牡丹を尋ねたことがある。中国原産の牡丹は百花の王とよばれるだけに大輪の花は見事であるが,わたしにはやや重すぎる。わたしは野に咲く水仙が好きである。
※『百花ノ譜』(伊藤松宇校訂『風俗文選』岩波文庫)
※『正法眼蔵』(大久保道舟編『古本校定 正蔵眼蔵 全』筑摩書房)
唐突だが,道元の『正法眼蔵』に「薪は薪の法位に住し」「灰は灰の法位にありて」 ― それぞれ「さきありのちありといへども、前後際斷せり」とある。「前後際斷」しているが故に「生も一時のくらゐなり。
死も一時のくらゐなり」ということになる。牽強附会になるが,牡丹は春(初夏)の「くらゐ」。「冬牡丹」と名づけ,季を移し,「しやれ過ぎ」の衣をまとわせずともよいのではないか ― とわたしなどは考えるが,しかし色彩が乏しくなる冬の季節,寒風除けの菰で覆われて美しく咲く姿は,もはや冬の風物詩。ならばそれはそれでひとつの「くらゐ」とおもえば,わたしの屁理屈などお節介というものか ― 。
若いころ,奈良の長谷寺,当麻寺の牡丹を尋ねたことがある。中国原産の牡丹は百花の王とよばれるだけに大輪の花は見事であるが,わたしにはやや重すぎる。わたしは野に咲く水仙が好きである。
※『百花ノ譜』(伊藤松宇校訂『風俗文選』岩波文庫)
※『正法眼蔵』(大久保道舟編『古本校定 正蔵眼蔵 全』筑摩書房)