本物語
第75号 2023.3.11
震災を乗り越えて とは? 続編3
井上 剛
本誌前号に引き続きしばらくの間,私のつたない文章にお付き合いいただくことをお許しください。前号続編2で予告しましたが,今号では,中浜小学校の閉校式における式辞を掲載させていただきます。(以下 紙面の関係上一部省略しています)
中浜小学校は,昭和39年の開校以来,第1回卒業生から,併せて1182名の卒業生を輩出し,地域と共に歩んできた歴史に幕を閉じます。地元の皆様の心の拠り所ともなっていた中浜小学校を支えてくださった多くの皆様の心情を察するには,あまりあるものがございます。 平成元年に建築された新校舎は,地元の皆様の想いを結集した素晴らしい校舎でありました。子どもたちはのびのびと生活し学校生活を楽しく過ごすことができました。 私は,平成22年度に赴任して約1年間,中浜小の校舎で生活させていただきました。何もかもがとても新鮮で,充実した時間を過ごすことができました。爽やかな浜風が通り抜ける教室で,ゆとりをもって学習に励む子どもたちの姿に目を細めておりました。地域と融合して行われていた「けんこまつり」(※)は地区民の方々がこぞって参加し,地域の皆様が楽しみに待っている一大イベントとなっていました。多くの皆様のご支援の下,このような取り組みを通して,学校と地域の信頼関係が築かれてきたのだと思います。(※けんこ=貝殻のこと。地域と学校が協働して行う祭り。)
時に自然は我々に過酷なまでの試練を与えます。温暖で緑豊かな山元町をこれほどまでに傷つけた大震災。あの日は子どもたちと共に屋上に避難しました。水煙によって中浜小学校が見えなくなった瞬間が存在したことを,後で知らされました。無事であることを伝えようと試みましたが,連絡の取れない時間帯が存在し,多くの皆様にご心配をおかけしました。辛うじて乗り越えることができたのも,校舎建築に携わった地域の皆様の未来を見通した先見的な取り組みがあったからでありました。児童の命を守り,役目を果たした校舎に感謝の念を禁じえません。しかし,この日が試練の始まりでした。その後の避難所生活をはじめとする,直面する困難に被災された皆さんも懸命に乗り越えてきた2年間でありました。地域の方々の温かい支えでここまでやってこられましたが,これから先も試練が待ち構えていることを覚悟しなければならないほど災害の傷跡は大きいと感じます。屋上で一晩過ごした翌日,自衛隊のヘリコプターで救助される時,無事に生きて帰れることにつかの間の幸福感を味わいました。しかし,次に続く避難所生活のことを思い,大人たちは屋上で使用した非常用毛布などを両脇に抱えてヘリコプターに乗り込みました。予想通り開設当初の避難所は混乱の中にありました。屋上から持ち出した毛布は役に立ちました。混乱の中でも自ら被災しているのに率先して働くご婦人たち。振り分け荷物で食材を運んでくださった坂元地区の皆さん。避難所運営を支えていた坂元中学校の皆さん。山元町の皆さんの団結力を目の当たりにしました。坂元小学校にて2年間共に学んだ子どもたちは,坂元小学校に統合後も大きく学習環境が変わることを回避できるでしょう。坂元小学校の皆さんや,坂元地区の皆さんに改めて感謝申し上げます。
児童の皆さん。皆さんは,この日を忘れないでください。中浜小学校を閉じることになりましたが,こんなにも多くの方が中浜小学校で過ごした思い出を大切にして集まってきてくださいました。中浜小学校はお父さんもお母さんも,おじいちゃんもおばあちゃんも,みんなが愛した学校でした。皆さんが持っていた中浜小学校への思い出と同じような温かい思い出を,会場にいる人たち皆が持っていますよ。4月から坂元小学校の友達とこれからも仲良く楽しく生活していきましょう。
さて,最後に,閉校にあたって,歴代最後となる校長としての偽りのない思いを述べます。それは,「百年後でもいいから中浜小学校を再開したい。」ということです。この思いは,震災後から今に至るまで何ら変わるものではありません。この度閉校となりますが,いつの日か中浜小学校が再開できるような「山元町の賑わいが戻るよう」に,今から準備を始めましょう。千年に一度の災害を被ったのですから,そこから立ち直るには時間がかかります。しかし,「遠くにしっかりとした夢を持ち,今の生活を立て直すこと。」これが乗り越える第一歩であると思います。
百年後というと,我々全員はこの世にいないかと思いますが,孫やひ孫,その先の子孫のために,足元の生活をしっかりと固め,歩んでいきましょう。この会場にいる子どもたちが間違いなく山元町の未来を担う若者です。この子らに世代を超えてしっかりと引き継いでいきましょう。
中浜小学校は,皆さんおひとりおひとりの心の中に厳然として建っています。中浜
小学校の閉校は,未来への通過点であります。これからの皆様のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。 <平成25年3月24日 校長式辞>
中浜小学校は,昭和39年の開校以来,第1回卒業生から,併せて1182名の卒業生を輩出し,地域と共に歩んできた歴史に幕を閉じます。地元の皆様の心の拠り所ともなっていた中浜小学校を支えてくださった多くの皆様の心情を察するには,あまりあるものがございます。 平成元年に建築された新校舎は,地元の皆様の想いを結集した素晴らしい校舎でありました。子どもたちはのびのびと生活し学校生活を楽しく過ごすことができました。 私は,平成22年度に赴任して約1年間,中浜小の校舎で生活させていただきました。何もかもがとても新鮮で,充実した時間を過ごすことができました。爽やかな浜風が通り抜ける教室で,ゆとりをもって学習に励む子どもたちの姿に目を細めておりました。地域と融合して行われていた「けんこまつり」(※)は地区民の方々がこぞって参加し,地域の皆様が楽しみに待っている一大イベントとなっていました。多くの皆様のご支援の下,このような取り組みを通して,学校と地域の信頼関係が築かれてきたのだと思います。(※けんこ=貝殻のこと。地域と学校が協働して行う祭り。)
時に自然は我々に過酷なまでの試練を与えます。温暖で緑豊かな山元町をこれほどまでに傷つけた大震災。あの日は子どもたちと共に屋上に避難しました。水煙によって中浜小学校が見えなくなった瞬間が存在したことを,後で知らされました。無事であることを伝えようと試みましたが,連絡の取れない時間帯が存在し,多くの皆様にご心配をおかけしました。辛うじて乗り越えることができたのも,校舎建築に携わった地域の皆様の未来を見通した先見的な取り組みがあったからでありました。児童の命を守り,役目を果たした校舎に感謝の念を禁じえません。しかし,この日が試練の始まりでした。その後の避難所生活をはじめとする,直面する困難に被災された皆さんも懸命に乗り越えてきた2年間でありました。地域の方々の温かい支えでここまでやってこられましたが,これから先も試練が待ち構えていることを覚悟しなければならないほど災害の傷跡は大きいと感じます。屋上で一晩過ごした翌日,自衛隊のヘリコプターで救助される時,無事に生きて帰れることにつかの間の幸福感を味わいました。しかし,次に続く避難所生活のことを思い,大人たちは屋上で使用した非常用毛布などを両脇に抱えてヘリコプターに乗り込みました。予想通り開設当初の避難所は混乱の中にありました。屋上から持ち出した毛布は役に立ちました。混乱の中でも自ら被災しているのに率先して働くご婦人たち。振り分け荷物で食材を運んでくださった坂元地区の皆さん。避難所運営を支えていた坂元中学校の皆さん。山元町の皆さんの団結力を目の当たりにしました。坂元小学校にて2年間共に学んだ子どもたちは,坂元小学校に統合後も大きく学習環境が変わることを回避できるでしょう。坂元小学校の皆さんや,坂元地区の皆さんに改めて感謝申し上げます。
児童の皆さん。皆さんは,この日を忘れないでください。中浜小学校を閉じることになりましたが,こんなにも多くの方が中浜小学校で過ごした思い出を大切にして集まってきてくださいました。中浜小学校はお父さんもお母さんも,おじいちゃんもおばあちゃんも,みんなが愛した学校でした。皆さんが持っていた中浜小学校への思い出と同じような温かい思い出を,会場にいる人たち皆が持っていますよ。4月から坂元小学校の友達とこれからも仲良く楽しく生活していきましょう。
さて,最後に,閉校にあたって,歴代最後となる校長としての偽りのない思いを述べます。それは,「百年後でもいいから中浜小学校を再開したい。」ということです。この思いは,震災後から今に至るまで何ら変わるものではありません。この度閉校となりますが,いつの日か中浜小学校が再開できるような「山元町の賑わいが戻るよう」に,今から準備を始めましょう。千年に一度の災害を被ったのですから,そこから立ち直るには時間がかかります。しかし,「遠くにしっかりとした夢を持ち,今の生活を立て直すこと。」これが乗り越える第一歩であると思います。
百年後というと,我々全員はこの世にいないかと思いますが,孫やひ孫,その先の子孫のために,足元の生活をしっかりと固め,歩んでいきましょう。この会場にいる子どもたちが間違いなく山元町の未来を担う若者です。この子らに世代を超えてしっかりと引き継いでいきましょう。
中浜小学校は,皆さんおひとりおひとりの心の中に厳然として建っています。中浜
小学校の閉校は,未来への通過点であります。これからの皆様のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。 <平成25年3月24日 校長式辞>