本物語
第75号 2023.3.11
車
伊藤 研二
子供の頃リヤカーをよく見ました。パイプを曲げて溶接して木の板を張り付け荷台をつくりタイヤを2本取り付けて持ち手を付けたもの。これに荷物を積んで運ぶ。農作物(米,野菜、藁など)積んで運ぶ。時々乗せて貰いました。今ではあまり見かけなくなりました。押し車(乳母車)もありました。籐で編んだ籠が付いている。お祖母さんの愛車。少し腰が曲がっていた祖母はこれに捕まると楽だったのでしょう。田舎道を電車の駅まで行き,駅に押し車を預けて買物に行きました。日用雑貨,お茶菓子等を乗せて帰りました。子供用自転車にもよく乗りました。友達と2人乗りで40㎞走ったこともあります。午前中に出発して帰ったら薄暗くなっていました。その後オート三輪が出ました。文字通りオートバイと三輪車を組み合わせたもの。それからミニバイクが流行りました。ポインター,ベンリー,トヨモーターなどが人気でした。従姉がオートバイで転んでケガをしたと聞いてお見舞いに行くと,どうもエンジンのかけ方だけ教わって止め方を教わらなかったので,仕方がなく自分で転んで止めたとのこと。面白い人でした。もう亡くなってしまいましたが懐かしい話です。
高校生のとき3年間自転車通学をしました。片道10㎞位あったと思います。後に競輪選手みたいと言われたことがあります。自転車で鍛えられて太腿が太かったのです。今では孫の小学5年生に負ける程細くなってしまいましたが……。大学生になって自動車部に入ります。ここで車の運転を教わりました。エンジンのない車をみんなで押して乗るのですが,それでもハンドル操作は上達します。しかし部員が多すぎて自走できる車にあまり乗ることが出来ないため,免許を取得する前に止めてしまいました。大学を卒業して車を作る会社に入ることになります。まだ車に乗って会社へ来る人はいなかった時代です。しかし仕事で車を運転する必要があり免許を取らなければなりません。学生時代免許を取るためと言って何度もお金を送って貰っていたので親に見つからないように県の試験場へこっそりと通いました。悪いことは出来ませんね。入社後3~4年で1000㏄の大衆車が発売されました。大衆車と言っても月給の10倍以上でした。借金して買いました。以来ずうっと車に乗っています。車も性能が良くなり車種も増えて価格も安くなり,入社後10年くらいで殆どの人がマイカー通勤になります。車も大量生産されるようになります。設備の自動化が進みました。車の生産過程は大まかに鉄板のプレス,その溶接,塗装,艤装です。溶接工程は長い間人海戦術でした。それがロボットの開発によって自動で溶接できるようになったのです。私は溶接工程の設備担当でした。稟議制度があって稟議書を書いて経理担当重役の許可を貰わなければいけません。よく「又君か。」と言われました。車のモデルチェンジがあり度々決裁を受けに行ったのです。車の形が変われば設備も変えないと使えないから。その時言われたのは「何でも組める設備は出来ないのか」。これには弱りましたね。説明しようとすると「技術的なことは分からん」と。しかしこの提言により一つの機械で多種類のものを組めることを考えるようになりました。
私は現役時代1000ccから2000ccまで車を乗り継ぎました。3000ccに乗りたかったのですが叶いませんでした。しかし車の増加と共に交通事故による死亡者の増加が問題となりました。交通戦争です。1970年が最悪で全国の死亡者は16,765人でした。車にも安全対策が施され徐々に減っていますが,便利さに隠れた車の課題です。
今,車は大きく変わろうとしています。大気汚染,地球温暖化の問題解決のためです。時代は電気自動車の方向に進んでいます。エンジンをモーターに変える。確かに排気ガスは出ません。しかしモーターを回すために電池が要りますが,今のところの電池では長距離を走れません。性能の良い電池の開発が望まれています。
最近こんな記事がありました。2025年大阪・関西万博で空飛ぶ車の実用化のことです。(大阪万博と言えば1968年の万博では「月の石」の所では大行列で近寄れなかったことを思い出します。今度は何が目玉になるのでしょうか)ヘリコプターと小型飛行機を併せもつ機体を開発する。そしてそれは関西空港から大阪駅まで現在1時間掛かるのを15分以内にするというのです。
将来は「じゅうたん」に乗って行先のボタンを押せばあっという間に目的地に着いてしまう。免許は要らないし事故はない時代になるでしょう。しかし,後の世の人は運転を誤ると少し危ないところもあるこの乗り物をどう評価するか,聞いてみたいと思います。
私は今,免許を返納するかどうか,悩んでいます。55年間続けてきた車の運転に別れを告げるのは寂しいですね。
高校生のとき3年間自転車通学をしました。片道10㎞位あったと思います。後に競輪選手みたいと言われたことがあります。自転車で鍛えられて太腿が太かったのです。今では孫の小学5年生に負ける程細くなってしまいましたが……。大学生になって自動車部に入ります。ここで車の運転を教わりました。エンジンのない車をみんなで押して乗るのですが,それでもハンドル操作は上達します。しかし部員が多すぎて自走できる車にあまり乗ることが出来ないため,免許を取得する前に止めてしまいました。大学を卒業して車を作る会社に入ることになります。まだ車に乗って会社へ来る人はいなかった時代です。しかし仕事で車を運転する必要があり免許を取らなければなりません。学生時代免許を取るためと言って何度もお金を送って貰っていたので親に見つからないように県の試験場へこっそりと通いました。悪いことは出来ませんね。入社後3~4年で1000㏄の大衆車が発売されました。大衆車と言っても月給の10倍以上でした。借金して買いました。以来ずうっと車に乗っています。車も性能が良くなり車種も増えて価格も安くなり,入社後10年くらいで殆どの人がマイカー通勤になります。車も大量生産されるようになります。設備の自動化が進みました。車の生産過程は大まかに鉄板のプレス,その溶接,塗装,艤装です。溶接工程は長い間人海戦術でした。それがロボットの開発によって自動で溶接できるようになったのです。私は溶接工程の設備担当でした。稟議制度があって稟議書を書いて経理担当重役の許可を貰わなければいけません。よく「又君か。」と言われました。車のモデルチェンジがあり度々決裁を受けに行ったのです。車の形が変われば設備も変えないと使えないから。その時言われたのは「何でも組める設備は出来ないのか」。これには弱りましたね。説明しようとすると「技術的なことは分からん」と。しかしこの提言により一つの機械で多種類のものを組めることを考えるようになりました。
私は現役時代1000ccから2000ccまで車を乗り継ぎました。3000ccに乗りたかったのですが叶いませんでした。しかし車の増加と共に交通事故による死亡者の増加が問題となりました。交通戦争です。1970年が最悪で全国の死亡者は16,765人でした。車にも安全対策が施され徐々に減っていますが,便利さに隠れた車の課題です。
今,車は大きく変わろうとしています。大気汚染,地球温暖化の問題解決のためです。時代は電気自動車の方向に進んでいます。エンジンをモーターに変える。確かに排気ガスは出ません。しかしモーターを回すために電池が要りますが,今のところの電池では長距離を走れません。性能の良い電池の開発が望まれています。
最近こんな記事がありました。2025年大阪・関西万博で空飛ぶ車の実用化のことです。(大阪万博と言えば1968年の万博では「月の石」の所では大行列で近寄れなかったことを思い出します。今度は何が目玉になるのでしょうか)ヘリコプターと小型飛行機を併せもつ機体を開発する。そしてそれは関西空港から大阪駅まで現在1時間掛かるのを15分以内にするというのです。
将来は「じゅうたん」に乗って行先のボタンを押せばあっという間に目的地に着いてしまう。免許は要らないし事故はない時代になるでしょう。しかし,後の世の人は運転を誤ると少し危ないところもあるこの乗り物をどう評価するか,聞いてみたいと思います。
私は今,免許を返納するかどうか,悩んでいます。55年間続けてきた車の運転に別れを告げるのは寂しいですね。