本物語
第76号 2023.8.25
〈花物語〉 百 合 Ⅱ
小櫃 蒼平
第64号の「花物語」で,百合の花の咲くところには蛇が出るといわれ ているので, 「蛇嫌いのわたしは頭の中のみずからの花譜から百合の花を永久追放にした」と書いた。じつはそれだけではない。その追放劇にはもうひとつ理由がある。
昭和21年の夏,ひとりの少年が死んだ。小学6年 ― 12歳という短い一生だった。小学生にしてはすこし大人びた餓鬼大将で,わたしは戦時疎開(現在の千葉県市原市)で転校した初日にかれと取っ組み合いの喧嘩をした。それが機縁で土地っ子同様の扱いをしてもらった。
いまでも覚えているが,敗戦の翌年の夏祭りの夜,すでに出身地の横浜に戻っていた,わたしと同じ疎開っ子だったかつての同級生が,中学生らしい仲間を引き連れて報復にやってきた。苛められたことへのお礼参りである。餓鬼大将は手向かいもせずに黙って殴られた。その場にいたわたしは茫然自失,目の前で起こっていることをただ眺めているだけだった。報復者たちが去った後,餓鬼大将が言った ― 「あいつ,横浜へ帰ってからおれを殴ることだけを考えていたんだな。かわいそうに。でも,これですべて忘れることができるだろう」 そのとき,餓鬼大将はたぶん報復者のかつての屈辱の日々を思いやっていたのだ。だからかれらの殴打に黙って堪えていたのは,餓鬼大将の疎開っ子苛めに対する自己処罰であったのかもしれない。
葬儀の日,墓域の片隅に山百合が一本咲いていた。植栽花でも,もちろん枕花でもない,それはそこに集う人びとの悲しみと無縁に,ただ佇立していた。その無情のたたずまいに,あの日殴られる親友を見捨てた傍観者のわたしの姿を見た ― 百合の花を嫌うもうひとつの理由。
昭和21年の夏,ひとりの少年が死んだ。小学6年 ― 12歳という短い一生だった。小学生にしてはすこし大人びた餓鬼大将で,わたしは戦時疎開(現在の千葉県市原市)で転校した初日にかれと取っ組み合いの喧嘩をした。それが機縁で土地っ子同様の扱いをしてもらった。
いまでも覚えているが,敗戦の翌年の夏祭りの夜,すでに出身地の横浜に戻っていた,わたしと同じ疎開っ子だったかつての同級生が,中学生らしい仲間を引き連れて報復にやってきた。苛められたことへのお礼参りである。餓鬼大将は手向かいもせずに黙って殴られた。その場にいたわたしは茫然自失,目の前で起こっていることをただ眺めているだけだった。報復者たちが去った後,餓鬼大将が言った ― 「あいつ,横浜へ帰ってからおれを殴ることだけを考えていたんだな。かわいそうに。でも,これですべて忘れることができるだろう」 そのとき,餓鬼大将はたぶん報復者のかつての屈辱の日々を思いやっていたのだ。だからかれらの殴打に黙って堪えていたのは,餓鬼大将の疎開っ子苛めに対する自己処罰であったのかもしれない。
葬儀の日,墓域の片隅に山百合が一本咲いていた。植栽花でも,もちろん枕花でもない,それはそこに集う人びとの悲しみと無縁に,ただ佇立していた。その無情のたたずまいに,あの日殴られる親友を見捨てた傍観者のわたしの姿を見た ― 百合の花を嫌うもうひとつの理由。