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本物語

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第77号 2023.12.25

宇治の文学碑を歩く( その10)

岡本 崇

法界寺:真言宗醍醐派別格本山。浄土真宗の開祖である親鸞は,1173年に日野有範の子として法界寺で生まれた。近くには親鸞の生誕地に因んで江戸時代に創建された日野誕生院がある。藤原氏の流れを汲む日野氏の地で,別邸を建てたので日野の里と呼ばれた。日野は,京都市伏見区だが,近くには鴨長明が隠棲して,『方丈記』を書いた旧跡がある。山里だが宇治の平等院に近く,藤原氏の墓所が営まれた地で,藤原道長が浄妙寺を建て,その寺域の一部を日野市が譲り受け,法界寺を創建した。日野という地名は,藤原鎌足がこの地を奈良の春日野と似ているところから,「春日野」と書いた札を立てておいたら,神鹿が来て「春」の一字を舐め取ったために「日野」となる。日野氏は,藤原北家の流れを汲む名族で,道長などの,藤原北家とは遠い親戚。後に親鸞,後醍醐天皇側近の日野資朝,足利義政夫人の日野富子など学識の高い有名人を輩出した。その氏寺が法界寺。薬師信仰の寺として知られ,別名は「日野薬師」。境内西側の門から入り,入口先の左手が阿弥陀堂(国宝)で,本尊は木造阿弥陀如来坐像(国宝)。正面が薬師堂である。薬師堂(重文)本尊の薬師如来立像(重文)は秘仏。薬師堂は20世紀初頭に奈良の寺院(廃寺)から移されてきたもの。内外陣の境には格子戸がはめられ,そこに安産や,子育てなどの願いを込めて奉納された「よだれかけ」が,びっしりとかけられ,信仰の深さが窺われる。

蓮如:1415~1499。浄土真宗本願寺派8世宗主。真宗大谷派8代門主で,浄土真宗を全国に伝えた人。私の学友の松本(安満)君の祖。吉野町の本善寺(飯貝御坊)は蓮如上人が1476年に創建した浄土真宗本願寺派の寺院。

〇西吉野町から養子に行った学友の経営する吉野町宮滝の「宮滝温泉まつや」に宿泊し,吉野山の桜を見に行った帰路,学友の杉浦・武田両君と本善寺を参詣した時に,蓮如上人の納骨堂などを詳しく案内頂いたことを思い出す。伊藤忠商事の伊藤忠兵衛氏は,浄土真宗本願寺派の熱心な信者でもあった。
 同行した坂東史朗氏は真宗大谷派で親鸞を教祖とするが,親鸞の生誕地が此処にあるとは,彼も全く知らなかった。親鸞が幼いころ祈った阿弥陀如来坐像(国宝)の前
に感慨深く座る。坂東氏と,私の勤務先も大阪本社は伊藤忠ビルに入っていたが,そこは南御堂(真宗大谷派難波別院)の横にあった。道路を隔てた向こうが松尾芭蕉終焉の宿跡。今回の旅では,坂東氏と,私にとっても,思いがけないご縁のある大発見であった。
 帰路は京阪六地蔵駅迄バスで行き,中書島で下車。駅前で坂東氏と一杯。彼は京阪で帰るが,私は近鉄なので桃山御陵前駅まで歩く。その途中,月桂冠大倉記念館裏河川沿いに「十石舟のりば」があった。最終舟が出る寸前であったので飛び乗る。乗客は大阪から来た女性2人と私の3人。三栖閘門まで往復40分ほど風に吹かれて酔いを醒まし,18時頃帰宅。

月桂冠大倉記念館:1637年,京都府相楽郡笠置町出身の大倉治右衛門が「笠置屋」を創業とある。私の両親と親戚になる,木津川市の淺田周宏氏(奥様は明智光秀の末裔)の曾祖母は,笠置町の大倉治左衛門の長女。酒造家であったが,伏見に出倉を造り番頭を置いた。その番頭が跡を継いで大倉を名乗り,「月桂冠」になったらしい。神戸市灘区にある白鶴美術館は7代目,嘉納治兵衛の収集品を展示しているが,治兵衛は奈良興福寺の執事の中村家から,白鶴酒造へ養子に来ている。志賀直哉とも親しくしていた中村雅真の弟であるが,雅真家には,私の従姉の娘が嫁いでいる。西吉野の私の曾祖母の実家の三並家(坂崎直盛の末裔)は,奈良県下市町で酒造業をしていたのに,岡本家には「村規により禁酒」という看板がある。西内酒造(桜井市)は三並家と親戚であるが西内家から談山神社(主祭神は614年生まれで藤原氏の始祖の藤原鎌足)までは5㎞。

藤原鎌足:飛鳥時代の政治家。藤原氏の始祖。天智天皇の腹心。鎌足を主祭神とする神社は,談山神社以外に,大東市の私の父の実家から7㎞の所にもある。忍陵(しのぶがおか)神社と云い,四条畷市岡山にあり,私の父が通学していた四条畷中学の近くとは知らなかった。                       (続く)
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