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本物語

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第78号 2024.3.31

傘寿の思い出 四国遍路に挑戦(その3)

藤澤 康裕

あの日から1年半以上経った今実力以上のことをやり遂げ,感慨深いものがある。データーで振り返る。1番霊山寺~88番大窪寺~1番霊山寺までを45日間歩き続けて,総歩数:2,008,717歩,1,450km,一日の平均歩数:45,028歩,32km,1日の最高距離:58,378歩,42km,1日の最高歩行時間:12H。これだけの大仕事をやってのけた自分を褒めてあげたい気持ちは一杯であるが,これは確かに私一人の行動ではあるが常に目に見えない何か,誰かが一緒に助け導いてくれた結果であり,その大いなる力を感じざるを得ない。それが弘法大師や私の両親、姉を含む先祖の魂が結集して私の幼稚な魂を導き、力づけてくれたことに他ならないと確信している。更に色々な形で応援してくれた家族、友人の絶大なサポートも見逃すことはできない。正に私の人生の総決算に相応しい大事業だったと思っている。大感謝である。
3.出発から遍路
 2022年9月21日愈々出発した。天気晴朗意気粛々。孤高のスタートであった。
 初日の宿は1番霊山寺の参道近くの「お遍路ハウス」を予約しておいたがこれが大正解であった。ここのご主人の高原道隆先生は四国霊場会公認先達という肩書のある巡拝140回という凄い方ということを後から知った。高原先生が霊山寺で巡礼に関する全てを準備指導してくれた。遍路用品の購入,参拝の方法など,また以降の宿なども予約までして頂き大いに助かった。これで翌日以降は一人前の遍路者気取りでスタートしたが読経は般若心経を本堂と大師堂で大きな声を出して唱えることとした。高原先生手作りの金剛杖のキャップが最後まで私を導いてくれた。これが最初に受けたご接待であった。遍路は翌日からスタートし,雨天は7日,遍路途中での雉撃ち5回,お接待24回,お接待をしたのが1回,道の間違い12回,歩行距離1,450km。2番寺の極楽寺から11番藤井寺まではほぼ平坦など田舎道を楽しんだ。店,食堂,コンビニ,郵便局など何もない,人も殆ど歩いていない所を周りの景色だけを観ながら歩いた。足豆の予防策として毎朝指や指の付け根周りにワセリンを塗って綿で指と足根小球をキネシオテープで巻いて歩いた。これを10日くらい続けて足豆が4日目に1つできたが宿のご主人の親切丁寧な処置のおかげで以降足豆はできることはなかった。最初の大難関は標高665mで“遍路転がし”で名高い12番焼山寺である。11番藤井寺からの距離は12.9kmで全てが山道のアップダウンでこれが遍路転がしと言われる道であった。途中どういう訳か道を間違え別の山道に入ってしまったようで,絶壁の崖を登る破目になってしまった。崖にへばりつく様にして20メートルくらい登ったら前を行く遍路者が道を間違えたのでUターンすると言ってこれまた死ぬ思いで降りた。弘法大師がこんな所を遍路道にする訳がないと思いながら登ったが滑り落ちないで助かったと安堵した。11番の藤井寺から6時間15分をかけて到着することができた。歩き遍路をする者にとってこの焼山寺が以降続けるか否かの一つの分岐点になるようで諦める人も多いようだ。私も諦めたい気持が大であったが何とか持ち応えると共に以降の遍路にちょっと自信がついてきた。この先は難所などは少なくほぼ平坦な道を進んだ。次は室戸岬,土佐湾をひたすらに歩き続けた。子供達が遍路者に挨拶をすることを躾けられているようで,行き交う子供達が明るい笑顔で挨拶をしてくれると疲れが一瞬で飛び去ってしまうのを覚える。また土佐に入ると其処彼処に将来の南海トラフ地震による津波の避難塔が建っており震災の備えも整っていた。土佐湾は寺の間隔が長い。特に36番から39番までの約200km土佐湾西部から足摺岬周りは各寺の参拝と同時に考えることが多かった。また遍路中に沢山のお接待を受けた。合計24回も色々な形で受けた。お接待をしてくれた方の心を思うと感動する。見ず知らずの白衣を着たジジィを見て咄嗟にお金や物を渡そうという心が実に尊い。聖書にも受けるより与える方が幸いである、と書いてあるのを思い出すがこのようなことを幼少の頃から教えを受けて成長された方々に深く頭を下げると共に私も今後の人生をこのような心構えで生きるべきと思った。私も遍路者にお接待をした。61番香園寺の参拝を終えて次に向かおうとしていた時,車を運転している白衣を着たご婦人が車を止めて62番の宝寿寺に行く道が分からないので同乗してガイドして欲しいと言われた。??遍路者に道を尋ねることもありなのかなと思ったが,歩き遍路の身なので車には乗らないで道を教えてあげた。1kmくらいの比較的単純な道であったので,行き方を教えた後直ぐ先の交差点で止まって迷っていた。余程道を知らない方なのかなと思い,これも弘法大師のお導きと覚え,仕方なく同乗して次の寺まで行った。聞いたところご主人が亡くなられて遍路の一部でも良いので夫の弔いをしようと九州からナビゲーターの無い車で来たとのことで先が思いやられた。(次号に続く。)
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