本物語
第79号 2024.7.25
傘寿の思い出 四国遍路に挑戦(その4)
藤澤 康裕
4. 遍路の意義
遍路の日々が淡々と進む。それにしても,かくも多くの人々が貴重な時間とお金を費やしてこの旅に挑む姿を見ると,この遍路には何か特別な魅力があるのだろうと思わざるを得ない。しかし,私はその魅力をまだ知らない。私の場合,その動機はとても単純であった。敬虔な日蓮宗信徒であった母が,空海が開拓した四国の寺々で得た真言宗の経帷子を纏って旅立った理由を探求したいという気持ちが大きかった。そして遍路の意義について深く考えたことはなかった。一般的には,遍路の意義は人それぞれ異なるが,共通して次のようなことが挙げられる。①信仰と祈りの旅,②修行と自己探求,③死後の救済と浄土,④地域との交流とお接待,⑤文化的意義。当時の私には「信仰と祈りの旅」というような意義は感じられなかったが,遍路を続けることでそのような意義を見出すことができるのだろうかと思う。私の宗教心は,若い頃から両親の行動を見て育まれた。母は毎月来宅する坊さんの読経に合わせ,一心にお経を唱えていた。父は興味がなさそうに見えながらも,飼い猫の霊を慰めるために坊さんの読経を録音し,それを猫の墓前や先祖の霊に聴かせていた。父の行動に感心した。
私は両親の行動を素地にし,さらに書物を通じて宗教について知識を深めた程度だった。若い頃,家に来た坊さんと倉田百三の『出家とその弟子』の親鸞と子供唯円の相克について激論をしたことが懐かしい。宗教的な修行や死後の救済について考えることも殆ど無かったが,今回の遍路で般若心経を200回唱えた。しかし,経文の意味は全く理解できなかった。「色即是空、空即是色」の言葉から,全ての物事が時間と共に変化し実態がないということを聞きかじり,私自身の遍路もまた同じではないかと考えた。遍路の旅が進むにつれて,徳島県の「発心の道場」,高知県の「修行の道場」,愛媛県の「菩提の道場」,香川県の「涅槃の道場」といった精神的な道場の意義を意識することなく歩き続けた。
では自分はどのような道場であったのか。最初は足豆のケアに最大の注意と時間を割いた。毎朝予防処置を十分に行ったが,3日目に一つできた足豆を処置し,その後も試行錯誤し見つけた解決策は歩くスピードを調整することで足豆を防ぐことだった。足豆と共に悩みの種は筋肉痛で,四六時中苦しめられた。最初の内は遍路をギブアップをしたいという欲望との闘いの連続であったが,これは体が慣れる以外の妙薬は無いと諦め,遍路に集中した。強い欲望との闘いに明け暮れたが10日くらいで落ち着いてきた。挫けそうな自分との闘いで助けてくれたのが励ましのメッセージだった。出発の前,この挑戦は失敗した場合を恐れて周りの方へのアナウンスを極力少なくした。そんな中で友人や子供達からの励ましのメッセージが物凄く嬉しかった。これが私の心に響き,苦しみを乗り越える力になった。
2週間目くらいから体が遍路に馴染んできて,過去の思い出が次々と蘇り,自分自身の人生を見つめ直すことになった。遍路を続けていくと時々頭の中が空っぽになり,何も考えずに歩いていることがあった。その時には苦しみも痛みも何もない。このような時に誰かが一緒に歩いていると感じることが多かった。その時強く感じたのは,私が目に見えない誰かに守られているということだった。45番岩屋寺で最も強く感じた。この時に思うことは,私を守ってくれているのは私の神様だと思っている。私に色々語りかけ,思い出させ,導いてくれるのは,先祖から引き継いできた遺伝子が現在の私であり,それに祖先の魂が強い力で導いてくれているということを感じた。次第に,頭の中に様々な思い出が浮かび,子供の頃の家族のことや,社会人としての苦労,友人達のこと,ラオスでの生活などが走馬灯のように蘇った。特に強く思い出されたのは,貧しかった子供時代の家族のことだった。父が13歳で天涯孤独になった苦しみを思えば,今の苦しみなど大したことはないと思う。あの時の貧しい生活の毎日が,私は最高に幸せな時代だったということが良く分かった。その時思い出したのが,私が幼少の時,父は夜になると毎日自分の机で何かを書き物をしていたことだった。そのことが無意識の内に私に引き継がれ今も机に向かって本を読んだり日記を書いたりしていることに気が付く。子供の頃に読んだベートーベンの言葉,「苦しみを乗り越えて歓喜に至れ」が深く心に残っている。この四国遍路の意義もまた,この言葉にあるのではないかと感じた。この遍路の旅を通じて,苦しみを乗り越えることで得られる歓喜が私にとっての遍路の真の意義であったという気がする。今は人生の旅路と同じように,四国遍路もまた,自分自身を見つめ直し,成長するための貴重な体験であったと思っている。(その5に続く)
遍路の日々が淡々と進む。それにしても,かくも多くの人々が貴重な時間とお金を費やしてこの旅に挑む姿を見ると,この遍路には何か特別な魅力があるのだろうと思わざるを得ない。しかし,私はその魅力をまだ知らない。私の場合,その動機はとても単純であった。敬虔な日蓮宗信徒であった母が,空海が開拓した四国の寺々で得た真言宗の経帷子を纏って旅立った理由を探求したいという気持ちが大きかった。そして遍路の意義について深く考えたことはなかった。一般的には,遍路の意義は人それぞれ異なるが,共通して次のようなことが挙げられる。①信仰と祈りの旅,②修行と自己探求,③死後の救済と浄土,④地域との交流とお接待,⑤文化的意義。当時の私には「信仰と祈りの旅」というような意義は感じられなかったが,遍路を続けることでそのような意義を見出すことができるのだろうかと思う。私の宗教心は,若い頃から両親の行動を見て育まれた。母は毎月来宅する坊さんの読経に合わせ,一心にお経を唱えていた。父は興味がなさそうに見えながらも,飼い猫の霊を慰めるために坊さんの読経を録音し,それを猫の墓前や先祖の霊に聴かせていた。父の行動に感心した。
私は両親の行動を素地にし,さらに書物を通じて宗教について知識を深めた程度だった。若い頃,家に来た坊さんと倉田百三の『出家とその弟子』の親鸞と子供唯円の相克について激論をしたことが懐かしい。宗教的な修行や死後の救済について考えることも殆ど無かったが,今回の遍路で般若心経を200回唱えた。しかし,経文の意味は全く理解できなかった。「色即是空、空即是色」の言葉から,全ての物事が時間と共に変化し実態がないということを聞きかじり,私自身の遍路もまた同じではないかと考えた。遍路の旅が進むにつれて,徳島県の「発心の道場」,高知県の「修行の道場」,愛媛県の「菩提の道場」,香川県の「涅槃の道場」といった精神的な道場の意義を意識することなく歩き続けた。
では自分はどのような道場であったのか。最初は足豆のケアに最大の注意と時間を割いた。毎朝予防処置を十分に行ったが,3日目に一つできた足豆を処置し,その後も試行錯誤し見つけた解決策は歩くスピードを調整することで足豆を防ぐことだった。足豆と共に悩みの種は筋肉痛で,四六時中苦しめられた。最初の内は遍路をギブアップをしたいという欲望との闘いの連続であったが,これは体が慣れる以外の妙薬は無いと諦め,遍路に集中した。強い欲望との闘いに明け暮れたが10日くらいで落ち着いてきた。挫けそうな自分との闘いで助けてくれたのが励ましのメッセージだった。出発の前,この挑戦は失敗した場合を恐れて周りの方へのアナウンスを極力少なくした。そんな中で友人や子供達からの励ましのメッセージが物凄く嬉しかった。これが私の心に響き,苦しみを乗り越える力になった。
2週間目くらいから体が遍路に馴染んできて,過去の思い出が次々と蘇り,自分自身の人生を見つめ直すことになった。遍路を続けていくと時々頭の中が空っぽになり,何も考えずに歩いていることがあった。その時には苦しみも痛みも何もない。このような時に誰かが一緒に歩いていると感じることが多かった。その時強く感じたのは,私が目に見えない誰かに守られているということだった。45番岩屋寺で最も強く感じた。この時に思うことは,私を守ってくれているのは私の神様だと思っている。私に色々語りかけ,思い出させ,導いてくれるのは,先祖から引き継いできた遺伝子が現在の私であり,それに祖先の魂が強い力で導いてくれているということを感じた。次第に,頭の中に様々な思い出が浮かび,子供の頃の家族のことや,社会人としての苦労,友人達のこと,ラオスでの生活などが走馬灯のように蘇った。特に強く思い出されたのは,貧しかった子供時代の家族のことだった。父が13歳で天涯孤独になった苦しみを思えば,今の苦しみなど大したことはないと思う。あの時の貧しい生活の毎日が,私は最高に幸せな時代だったということが良く分かった。その時思い出したのが,私が幼少の時,父は夜になると毎日自分の机で何かを書き物をしていたことだった。そのことが無意識の内に私に引き継がれ今も机に向かって本を読んだり日記を書いたりしていることに気が付く。子供の頃に読んだベートーベンの言葉,「苦しみを乗り越えて歓喜に至れ」が深く心に残っている。この四国遍路の意義もまた,この言葉にあるのではないかと感じた。この遍路の旅を通じて,苦しみを乗り越えることで得られる歓喜が私にとっての遍路の真の意義であったという気がする。今は人生の旅路と同じように,四国遍路もまた,自分自身を見つめ直し,成長するための貴重な体験であったと思っている。(その5に続く)