本物語
第79号 2024.7.25
東日本大震災復旧復興事業に携わって
内藤 伸弘
平成26年4月に,派遣職員として宮城県気仙沼土木事務所に赴任したときは,がれき処理が終わり土木事務所管内で地元関係機関や町づくり協議会等と協議しながら復旧復興計画に着手している状況でありました。
気仙沼土木事務所管内では,道路・橋梁・河川・海岸・港湾関係等災害復旧の事業計画が190カ所ほど,事業費ベースで2,500億以上ありました。また,震災復興のシンボル事業である「大島架橋事業」「県道気仙沼唐桑線 東舞根復興道路」「三陸沿岸道路 (仮称)の気仙沼湾横断橋」「大島架橋」の模型を「海の市」に展示するなど市町一団となって復旧復興に邁進していました。 気仙沼市・南三陸町では,仮設住宅で生活されている方々の高台への住宅整備事業に取り組んでおり,県市町派遣職員を含め職員総出により災害復旧事業に取り組んで一日でも早く完成できることを願い職員一致団結して復旧復興に傾注していたことも思い出します。
このような状況の中でも定期的にノミニケ-ションを欠かさず,問題を抱え込まず誰とでも話し合え,できる限りストレスを無くして快適な職場作りを目指していました。私も,気仙沼の夏祭りハマランヤに参加するため,そろいのTシャツを作って参加したり,秋祭りには地元神社の神輿担ぎをして住民との交流も楽しく参加させていただいたりしました。
平成30年9月,5年ぶりの気仙沼土木事務所にお伺いしました。災害復旧復興の進捗状況は格段に進んでおり,災害復旧事業の着手率は99%,事業費べ-スで88%となっていました。
仙台から気仙沼市内へ三陸沿岸道路が気仙沼市大谷海岸まで開通しており,県庁までの時間が1時間短縮されるなど驚くほどの復旧復興が進んでいました。一つの目標に向かって地元関係者や職員が一致団結し気力・体力及び能力をフル活用すればどんな困難でも解決し未来が開かれることが感じられました。皆様の思いが集結して,赴任した当時担当していた事業箇所が完成したことに感謝感激でいっぱいでした。
昨年7月に第2のふるさと宮城県へ再度お伺いすることができました。赴任当時の関係職員多数お集まりいただき,当時の状況など懐かしく語り合うことができました。
私が担当していた中島海岸(小泉海水浴場)・大谷海岸(大谷海水浴場)には大勢の海水浴客が来場し,道の駅などには満車状態で臨時駐車場がいくつも設営されていました。
南三陸さんさん商店街もひとひと人であふれ食事をするにしても何時間待ちの状況でした。 南三陸3.11メモリアル伝承館では,震災当時の映像や住民の証言映像なども見られる場があり,防災や減災について「自分だったら何ができるか」に向き合う体験ができました。 テレビの全国ニュ-スでは、南三陸町旧防災対策庁舎がよく映像で流れておりましたが,南三陸町震災復興祈念公園内には,その当時のままの骨組みが残されています。東日本大震災の痕跡をとどめているこれを見て,大津波の脅威を間近で実感できました。 以下に,昨年の気仙沼訪問で,災害復旧に携わって感じたことやいろんな方々のご意見などを聞き,再確認したことを記します。
・想定外のことが起きればパニックで何をすべきかわからずに右往左往してしまうので,あり得ないことがあり得る
と考えて行動ができるよう日頃の訓練(習慣)が大切。
・第1は命を守るための行動,そして避難した場所での共同生活での行動を身に付けることが大切である。それには
日頃から避難経路や連絡体制を確保するなど家族間の情報共有,地域コミュニティー確保(時間の経過によるスト
レス・体調不良等の防止にもコミュニケーションが大切)することが欠かせない。
・インフラ整備は,時間とお金があれば復興されてはいるが,生活実態が伴わなければ前の生活が良かったと感じ
る。
・人を頼るので無く自分で切り開かないと何も生まれない。
今,第2のふるさと気仙沼を思い出しながら,復興実感を得る幸せとは,私なりに考えると震災前には戻らない。
従前の環境と現在の環境をどう理解し,環境変化に順応させる適応力を家族やその周辺の方々と培っていくコミュニティーが大切であるように思われる。
住むところ・働くところ・最低限の日常生活ができる環境が整えば笑顔が戻り,コミュニティーが弾み,新たな絆も生まれ毎日が楽しくなることで人々が集まり町が活気づいてくるように感じられました。
気仙沼土木事務所管内では,道路・橋梁・河川・海岸・港湾関係等災害復旧の事業計画が190カ所ほど,事業費ベースで2,500億以上ありました。また,震災復興のシンボル事業である「大島架橋事業」「県道気仙沼唐桑線 東舞根復興道路」「三陸沿岸道路 (仮称)の気仙沼湾横断橋」「大島架橋」の模型を「海の市」に展示するなど市町一団となって復旧復興に邁進していました。 気仙沼市・南三陸町では,仮設住宅で生活されている方々の高台への住宅整備事業に取り組んでおり,県市町派遣職員を含め職員総出により災害復旧事業に取り組んで一日でも早く完成できることを願い職員一致団結して復旧復興に傾注していたことも思い出します。
このような状況の中でも定期的にノミニケ-ションを欠かさず,問題を抱え込まず誰とでも話し合え,できる限りストレスを無くして快適な職場作りを目指していました。私も,気仙沼の夏祭りハマランヤに参加するため,そろいのTシャツを作って参加したり,秋祭りには地元神社の神輿担ぎをして住民との交流も楽しく参加させていただいたりしました。
平成30年9月,5年ぶりの気仙沼土木事務所にお伺いしました。災害復旧復興の進捗状況は格段に進んでおり,災害復旧事業の着手率は99%,事業費べ-スで88%となっていました。
仙台から気仙沼市内へ三陸沿岸道路が気仙沼市大谷海岸まで開通しており,県庁までの時間が1時間短縮されるなど驚くほどの復旧復興が進んでいました。一つの目標に向かって地元関係者や職員が一致団結し気力・体力及び能力をフル活用すればどんな困難でも解決し未来が開かれることが感じられました。皆様の思いが集結して,赴任した当時担当していた事業箇所が完成したことに感謝感激でいっぱいでした。
昨年7月に第2のふるさと宮城県へ再度お伺いすることができました。赴任当時の関係職員多数お集まりいただき,当時の状況など懐かしく語り合うことができました。
私が担当していた中島海岸(小泉海水浴場)・大谷海岸(大谷海水浴場)には大勢の海水浴客が来場し,道の駅などには満車状態で臨時駐車場がいくつも設営されていました。
南三陸さんさん商店街もひとひと人であふれ食事をするにしても何時間待ちの状況でした。 南三陸3.11メモリアル伝承館では,震災当時の映像や住民の証言映像なども見られる場があり,防災や減災について「自分だったら何ができるか」に向き合う体験ができました。 テレビの全国ニュ-スでは、南三陸町旧防災対策庁舎がよく映像で流れておりましたが,南三陸町震災復興祈念公園内には,その当時のままの骨組みが残されています。東日本大震災の痕跡をとどめているこれを見て,大津波の脅威を間近で実感できました。 以下に,昨年の気仙沼訪問で,災害復旧に携わって感じたことやいろんな方々のご意見などを聞き,再確認したことを記します。
・想定外のことが起きればパニックで何をすべきかわからずに右往左往してしまうので,あり得ないことがあり得る
と考えて行動ができるよう日頃の訓練(習慣)が大切。
・第1は命を守るための行動,そして避難した場所での共同生活での行動を身に付けることが大切である。それには
日頃から避難経路や連絡体制を確保するなど家族間の情報共有,地域コミュニティー確保(時間の経過によるスト
レス・体調不良等の防止にもコミュニケーションが大切)することが欠かせない。
・インフラ整備は,時間とお金があれば復興されてはいるが,生活実態が伴わなければ前の生活が良かったと感じ
る。
・人を頼るので無く自分で切り開かないと何も生まれない。
今,第2のふるさと気仙沼を思い出しながら,復興実感を得る幸せとは,私なりに考えると震災前には戻らない。
従前の環境と現在の環境をどう理解し,環境変化に順応させる適応力を家族やその周辺の方々と培っていくコミュニティーが大切であるように思われる。
住むところ・働くところ・最低限の日常生活ができる環境が整えば笑顔が戻り,コミュニティーが弾み,新たな絆も生まれ毎日が楽しくなることで人々が集まり町が活気づいてくるように感じられました。