本物語
第79号 2024.7.25
里山暮し十五年(前編)
髙木 弥千代
主人の定年退職後,東京・世田谷からの移住を決め,空気と水の良い,静かな処を条件に,南紀白浜の観光地から少し離れた里山に家を建てました。しかし当方の敷地迄の県橋は老朽化が激しく,大型車の通行禁止の為,当方で敷地近くに仮橋を架けての工事となり,地目も山林→農地→宅地への手続,工事等で三年余の2008年8月末に新居完成。8年春に夫は39年在職の大学を退官,1年間同大で講師をしたので,9月から翌年2月の移住迄の半年間,月の半分は世田谷に居住,残りを白浜に居住。引越しも毎月1,200㎞の往復を利用して自家用ラクテスで済ませました。夫は新居完成時から施行者の建築士にテニスを誘われ,在職時からのテニスを再開,テニス後の温泉,お仲間との会食,カラオケを欠かさず,このことは持病の肺疾患にも大きな効果が有ったと思っています。思いがけずの日々と感謝しておりました。
上京の折夫が見つけた新宮市のウナギの老舗通いも私とは毎月になり,後日お仲間との昼食会は恒例になりました。
夫は移住当初から〝10年楽しめれば良い〟と言ったことが有り,その言葉通りの最期でした。3ヶ月の入院後,最後は国立病院に救急搬送され,半日の集中治療も及ばずで看取りは私一人でしました。身贔屓乍ら,本当に弱き者に優しい心の綺麗な人でした。私は当地で御縁の出来た投稿誌に夫が亡くなった時「山桜散る」という題で投稿しています。西側の山に当地では珍しい位の山桜が10本有り,3月初めには咲き,風に棚引く様子は素晴らしい風情です。桜便りより早く緑の中に静かに咲いています。
〝様々なことを思い出す桜〟を毎年感慨深く愛でられることに感謝あるのみです。
諸事情から夫の七回忌を子供3人,孫2人と共に身内の6人でこの6月1日に済ませました。八王子にも都営霊園に墓が有るので,当地では田辺市に樹木葬の処を見つけました。東京等ゲリラ豪雨とのニュースが多い中,3日間当地は晴天で五月の風が爽やかでした。娘の処は8人乗りの車を手に入れたので1台で済み助かりました。
移住当初から親身になって下さった長老御家族,近隣の方々にも支えられて,夫亡き後(2019.3.6没)の6年近く, 一人暮らしも不自由せず楽しむことが出来ています。
この方々のお蔭で葬儀も滞り無く済み,命日には必ずお参りにいらして,思い出話に花が咲きます。5月から6月の2ヶ月近く,私宅横の清流,高瀬川と庭を通る用水路に蛍が飛来します。私宅での観蛍会は恒例になり,3年前の数はかつて無い多さで,近隣からの車が行列をなし,私の部屋から居乍らにして眺められました。7月初旬から南面の庭に無数のトンボが群をなします。蚊の少ないのも食物連鎖が働いているからでしょうか。今春大学を卒業した友人の次男が小3の時一人で来泊,夢中で網を振り回し,清流の小魚取りに時を忘れていた姿が目に浮かびます。この清流の渕は5月初めから,近隣の小,中学生の水泳場になり大変な歓声が上がります。95歳の長老も良く泳いだとのことでした。この川は3㎞奥の湧水から発し,田の水もこれを活用しています。長老は水の管理者でした。当地は免ノ内という呼び名が有り,これは米の良いことで献上米の産地が由来とされていたことからです。
長老が持参して下さる新米は魚沼のコシヒカリにも引けを取りません。昨秋その長老も亡くなり,90代の方々の訃報が続き,10軒の回覧板も7軒になりました。
一方で,私宅から車で2,3分の処に高速インターが出来(2017年開通),直結する県道フラワ―ラインは,生活道路にもなり,町の中心部にも10分,昨秋より私のかかりつけ医でも有る〝はまゆう病院(10年前に新装改築,診療科目も増えました)〟へのドアtoドアの無料制度も出来て,とても助かっています。空港にも10分,羽田から1時間余のフライトです。6年前に消防署,警察署,保育園等が空港近くに高台移転,便利になりました。この5月20日から5月22日迄埼玉から友人が来泊して帰ったところです。太平洋側には温暖で老後に適した処が多く,今後I.Tを活用してコンパクトシティ化すれば災害時の助けになるのではと思います。反面水道を引く為に(私道が多い)当方のように150万もかかったり,空き家解体にも費用の面で難しいところが多く,社会問題化しています。小中学校の閉校,限界集落は身近に起き,一番の問題は少子化です。結婚しない若者も今は50代,60代になっています。正に喫緊の問題です。当方の3人の子供も,孫2人が居るのは娘のみ。長,次男共に独身です。全く他人事ではありません。子どもの日の地方紙の一面に〝結婚する気ない,一人のほうが気らく〟と有り,言葉を失いました。その数が40%に及んでは……。
(夫亡き後は他にも記したいことが有りますので,それは次号で。)
上京の折夫が見つけた新宮市のウナギの老舗通いも私とは毎月になり,後日お仲間との昼食会は恒例になりました。
夫は移住当初から〝10年楽しめれば良い〟と言ったことが有り,その言葉通りの最期でした。3ヶ月の入院後,最後は国立病院に救急搬送され,半日の集中治療も及ばずで看取りは私一人でしました。身贔屓乍ら,本当に弱き者に優しい心の綺麗な人でした。私は当地で御縁の出来た投稿誌に夫が亡くなった時「山桜散る」という題で投稿しています。西側の山に当地では珍しい位の山桜が10本有り,3月初めには咲き,風に棚引く様子は素晴らしい風情です。桜便りより早く緑の中に静かに咲いています。
〝様々なことを思い出す桜〟を毎年感慨深く愛でられることに感謝あるのみです。
諸事情から夫の七回忌を子供3人,孫2人と共に身内の6人でこの6月1日に済ませました。八王子にも都営霊園に墓が有るので,当地では田辺市に樹木葬の処を見つけました。東京等ゲリラ豪雨とのニュースが多い中,3日間当地は晴天で五月の風が爽やかでした。娘の処は8人乗りの車を手に入れたので1台で済み助かりました。
移住当初から親身になって下さった長老御家族,近隣の方々にも支えられて,夫亡き後(2019.3.6没)の6年近く, 一人暮らしも不自由せず楽しむことが出来ています。
この方々のお蔭で葬儀も滞り無く済み,命日には必ずお参りにいらして,思い出話に花が咲きます。5月から6月の2ヶ月近く,私宅横の清流,高瀬川と庭を通る用水路に蛍が飛来します。私宅での観蛍会は恒例になり,3年前の数はかつて無い多さで,近隣からの車が行列をなし,私の部屋から居乍らにして眺められました。7月初旬から南面の庭に無数のトンボが群をなします。蚊の少ないのも食物連鎖が働いているからでしょうか。今春大学を卒業した友人の次男が小3の時一人で来泊,夢中で網を振り回し,清流の小魚取りに時を忘れていた姿が目に浮かびます。この清流の渕は5月初めから,近隣の小,中学生の水泳場になり大変な歓声が上がります。95歳の長老も良く泳いだとのことでした。この川は3㎞奥の湧水から発し,田の水もこれを活用しています。長老は水の管理者でした。当地は免ノ内という呼び名が有り,これは米の良いことで献上米の産地が由来とされていたことからです。
長老が持参して下さる新米は魚沼のコシヒカリにも引けを取りません。昨秋その長老も亡くなり,90代の方々の訃報が続き,10軒の回覧板も7軒になりました。
一方で,私宅から車で2,3分の処に高速インターが出来(2017年開通),直結する県道フラワ―ラインは,生活道路にもなり,町の中心部にも10分,昨秋より私のかかりつけ医でも有る〝はまゆう病院(10年前に新装改築,診療科目も増えました)〟へのドアtoドアの無料制度も出来て,とても助かっています。空港にも10分,羽田から1時間余のフライトです。6年前に消防署,警察署,保育園等が空港近くに高台移転,便利になりました。この5月20日から5月22日迄埼玉から友人が来泊して帰ったところです。太平洋側には温暖で老後に適した処が多く,今後I.Tを活用してコンパクトシティ化すれば災害時の助けになるのではと思います。反面水道を引く為に(私道が多い)当方のように150万もかかったり,空き家解体にも費用の面で難しいところが多く,社会問題化しています。小中学校の閉校,限界集落は身近に起き,一番の問題は少子化です。結婚しない若者も今は50代,60代になっています。正に喫緊の問題です。当方の3人の子供も,孫2人が居るのは娘のみ。長,次男共に独身です。全く他人事ではありません。子どもの日の地方紙の一面に〝結婚する気ない,一人のほうが気らく〟と有り,言葉を失いました。その数が40%に及んでは……。
(夫亡き後は他にも記したいことが有りますので,それは次号で。)