本物語
第79号 2024.7.25
「すばらしき高齢時代」を読む
中尾 富枝
サブタイトルは「我は不良老兵を宣言する」である。せっかちな私は不良老人と勘違いして大いに期待してしまったが、それは当然見事に裏切られた。執筆者はそれぞれの分野で第一線を走り切り,なお勢い止まらず高齢時代に突入していると云う感じである。すべての方々が高齢時代に切り込んでおられると云う感じである。まさに老兵として。現役時代を真摯に生きられた方々の高齢時代はこうした生き方が出来るのだと教えてくれる本である。この一冊は学校の道徳の時間の副読本として使用しても良いのではと思う。例え副読本にはならないとしても,この先に続く超高齢社会に突入して行く方々にとって一読される価値があり,高齢時代を生きる指標ともなってくれるのではないかと思われてならない。
まず,故郷の宮城を遠く離れて熊本に暮らして六十年になる私にとって執筆者の宮城とか仙台という住所がまず目に入る。つい数えてみたら全執筆者四十八名中十一名もおられた。もっと居られるのかも。その中に私の先輩に当たられる方が三名居られる。戦中派の私にとって戦争に関する文章は特に胸が痛い。「父親が戦争に行き母親は夫の留守の間に子どもを産んだ……」の書き出しの一文。道の奥の東北の農村地方で戦争中のこのような母と子の歴史がどのような成り行きを招いたかは同郷の人間として想像に難くない。その母と子を思い,私は暗澹とした気持ちになった。
次に「遺髪手に母泣き嘆き夏座敷」と詠った俳句の入った文章。子を失った母の悲しみはこれ以上のものはない。私は八十五歳になる年になって,自分が産んだ四人の子が皆元気で生きていてくれることだけが唯一の幸せであると気づかされている。人を殺し合う戦争と云うものを人間はなぜ無くせないのだろうか。
読み進むうちにうれしい邂逅があった。
「子供叱るな来た道だもの
年寄り笑うな行く道だもの
来た道行く道二人旅
これから通る今日の道
通り直しのできぬ道」
私がこの一篇を新聞の片隅に見つけたのは何十年前だったろうか。その時の言葉は,
「子供叱るな来た道だ
年寄り笑うな行く道だ」
の二行だけだった。
記事によればどこかのお寺の境内の入り口に書かれているということだった。たった二行の言葉なのになんと含蓄のある言葉であろうかと忘れずに来た。それがなんと,何十年振りかにこの誌上で出合ったのである。更に思いもかけず文言が増えているではないか。この人生訓のような一篇の出典は有るのだろうか。
この出合いには後日譚がある。今年の一月,夫の姉の法要があった。御住職の読経のあと、まだお若い御住職がお説教としてこの一篇を口にされたのである。御住職も二行だけの文言であった。お節介やきでもある私は御住職にこの本のこの部分を見せてあげたいと思った。すぐにでも教えてあげたいと思ったけれど,出典が有るならそれも一緒に教えてあげたいと思って自分をおさえている。
何ともう一つ教えて頂いた事があったのです。遠い昔,私が学んだ大学は床が黒ずんだ板張りで歩くとガタガタ音がした。勾配のついた広い教室の一番前の席につくと,当時,人類学(?)で高名であったらしい教授がふくよかな身体を椅子におろすと「昨日はテレビの収録でドウラン焼けしてね」と嬉しそうに前置きするのが再三だった。大学教授の中で御尊名を覚えている教授はこの方一人だけである。そして,これまで大学生活の一コマを思い出すたびに教授の「ドウラン焼け……」の一言を思い出して楽しんでいた。それなのにである。ある日,教授のフルネームを思い出そうとしたら出てこないではないか! いよいよ認知症? こうやって一つ一つわからなくなって行くのであろうか。急に力が抜けて行くのを感じた。ところがです。本を読んで行く内に目の前に「大学の恩師、樋口清之先生は……」の冒頭の文字が飛び込んできたではないか。あっ‼ そうそう,樋口清之先生!と思わず口走りました。何とうれしかった事。以来私の脳味噌はスッキリ晴れ渡っております。
そうこうしながら257ページの「すばらしき高齢時代 我は不良老兵を宣言する」を読了しました。何と執筆者方の多種多彩‼ 現役時代の余勢そのまゝに,そして現役時代はさぞかしと思わせずには置かない素晴らしい高齢時代を突進されている方ばかりでした。これからの超高齢時代,この一冊が良い指針になってくれるのでは!?
まず,故郷の宮城を遠く離れて熊本に暮らして六十年になる私にとって執筆者の宮城とか仙台という住所がまず目に入る。つい数えてみたら全執筆者四十八名中十一名もおられた。もっと居られるのかも。その中に私の先輩に当たられる方が三名居られる。戦中派の私にとって戦争に関する文章は特に胸が痛い。「父親が戦争に行き母親は夫の留守の間に子どもを産んだ……」の書き出しの一文。道の奥の東北の農村地方で戦争中のこのような母と子の歴史がどのような成り行きを招いたかは同郷の人間として想像に難くない。その母と子を思い,私は暗澹とした気持ちになった。
次に「遺髪手に母泣き嘆き夏座敷」と詠った俳句の入った文章。子を失った母の悲しみはこれ以上のものはない。私は八十五歳になる年になって,自分が産んだ四人の子が皆元気で生きていてくれることだけが唯一の幸せであると気づかされている。人を殺し合う戦争と云うものを人間はなぜ無くせないのだろうか。
読み進むうちにうれしい邂逅があった。
「子供叱るな来た道だもの
年寄り笑うな行く道だもの
来た道行く道二人旅
これから通る今日の道
通り直しのできぬ道」
私がこの一篇を新聞の片隅に見つけたのは何十年前だったろうか。その時の言葉は,
「子供叱るな来た道だ
年寄り笑うな行く道だ」
の二行だけだった。
記事によればどこかのお寺の境内の入り口に書かれているということだった。たった二行の言葉なのになんと含蓄のある言葉であろうかと忘れずに来た。それがなんと,何十年振りかにこの誌上で出合ったのである。更に思いもかけず文言が増えているではないか。この人生訓のような一篇の出典は有るのだろうか。
この出合いには後日譚がある。今年の一月,夫の姉の法要があった。御住職の読経のあと、まだお若い御住職がお説教としてこの一篇を口にされたのである。御住職も二行だけの文言であった。お節介やきでもある私は御住職にこの本のこの部分を見せてあげたいと思った。すぐにでも教えてあげたいと思ったけれど,出典が有るならそれも一緒に教えてあげたいと思って自分をおさえている。
何ともう一つ教えて頂いた事があったのです。遠い昔,私が学んだ大学は床が黒ずんだ板張りで歩くとガタガタ音がした。勾配のついた広い教室の一番前の席につくと,当時,人類学(?)で高名であったらしい教授がふくよかな身体を椅子におろすと「昨日はテレビの収録でドウラン焼けしてね」と嬉しそうに前置きするのが再三だった。大学教授の中で御尊名を覚えている教授はこの方一人だけである。そして,これまで大学生活の一コマを思い出すたびに教授の「ドウラン焼け……」の一言を思い出して楽しんでいた。それなのにである。ある日,教授のフルネームを思い出そうとしたら出てこないではないか! いよいよ認知症? こうやって一つ一つわからなくなって行くのであろうか。急に力が抜けて行くのを感じた。ところがです。本を読んで行く内に目の前に「大学の恩師、樋口清之先生は……」の冒頭の文字が飛び込んできたではないか。あっ‼ そうそう,樋口清之先生!と思わず口走りました。何とうれしかった事。以来私の脳味噌はスッキリ晴れ渡っております。
そうこうしながら257ページの「すばらしき高齢時代 我は不良老兵を宣言する」を読了しました。何と執筆者方の多種多彩‼ 現役時代の余勢そのまゝに,そして現役時代はさぞかしと思わせずには置かない素晴らしい高齢時代を突進されている方ばかりでした。これからの超高齢時代,この一冊が良い指針になってくれるのでは!?