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本物語

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第80号 2024.11.25

私 の 釣 り 日 誌

藤原 純行

 私の趣味の一つに“魚釣り”がある。2007年10月初めのこと,熱海港でその年初めてメジマグロを釣り上げた。小さいが,れっきとしたマグロである。その日の早朝,前泊の箱根のホテルから下山して釣り船をチャーターし,仲間10数名と海釣りに繰り出した。小魚が沢山釣れたが,私の竿のみが運よくメジマグロをゲットしたのである。そのメジマグロを抱えた私がその翌日の「釣場速報」に写真入りで掲載された。
以下,数多くの釣り体験の中でも記憶に強く残っている幾つかを記してみたい。

 まず年1997年のことである。友人3人で大物釣りを目指し,釣り船をチャーターして,早朝に房総沖から太平洋に繰り出した。船頭曰く「今日は“べたなぎ”ですよ」。しかし,素人仲間の我々には,太平洋の荒波は予想を超えたもので,更に前夜の深酒も災いして,一投も投げることなく退散する羽目となった。それに対する船頭の怒りは想像を絶した。近海での釣りを再提案したが,もはや聞く耳を持たなかった。船から放り出され,止む無く旅館に舞い戻り休息を頼むが,これも断られ,近くのゴルフ場で,釣り竿を,ゴルフクラブに持ち替えて時間を費やしたのであった。苦い思い出である。
 しかし,大漁の時もあった。2001年5月,伊豆の稲取に会社仲間と釣りに行った時のことである。突然行くことになったゆえ船頭も宿も確保できず,止む無く会社の業務上関係先のタンカー会社に頼んで,無理矢理に釣り船と宿をチャーターした。当日は,お酒を飲みながら,のんびりと終日釣りを楽しむ予定であったが,意に反して金目鯛の大漁である。約2時間,船頭の叱咤激励で休む間もなく,釣り上げ続けた。お陰で,その金目鯛の“お裾分け”のために,帰京しても余韻を楽しむ間もなく奔走することとなった。のんびりどころか忙しい終日であった。
 1996年と1997年の2度,会社の仲間達を誘ってサイパン島に行き,カジキマグロ釣りにチャレンジした。釣果は,2度の釣行でシイラ1匹のみであり,無念さだけが残った。カジキマグロは,やはり世間で言われている通り,オーストラリア近辺でなければ無理と悟った。しかしながら未だオーストラリア行きは実現していないし,今後も体力的に実現することは不可能と思われる。
2008年には沖縄での船釣りにも挑戦したが,総天然色の小魚ばかりの釣果であり,食べることもできず,その場でリリースした。沖縄の海も甘くはなかった。
 仕事の関係で三重県に併住したことがあった。その三重県併住時代の2006~2008年に飲み友達が何度か船釣りに誘ってくれた。彼らはセミプロ集団であり確実に釣果があった。タイやヒラメやハマチ等が釣れた。右の写真がその時の釣果である。その釣果もあって,今後のためにと勧められて釣り具も一新した。
 三重県併住時代にはもう一つ,アユ釣り鳥羽湾にての話がある。地元のある会社の社長からアユ釣り,しかも岐阜県の長良川でという誘いが来た。釣りに失敗しても鮎は間違いなく食べさせるとの“お約束付き”である。東京からの友人も含めて,意気揚々と,漁業組合で入漁権を買い,おとり鮎を調達して,初めてのアユ釣りに挑戦した。社長が釣り道具の用意と,テントを設営して,社員が食事の用意もしてくれ,アユも食べさせてくれた。感謝である。しかし,私たちの懸命の長時間の努力もむなしく,釣果はゼロであった。更に私は最後のオトリ鮎まで逃げられる始末であり,惨憺たる結果であった。私は1日でギブ・アップしたが,他の二人は翌日もチャレンジするとのことで,オトリ籠を長良川の生け簀につるしていたが,真夜中に上流で降った雨でそのオトリ籠も流されてしまった。翌日,近隣の鵜庄宅を全員で訪問して,鵜に敬意を表した次第である。その後,犬山城天守閣から長良川の雄大さを眺めながら,アユ釣りの難しさを痛感した次第である。

 大阪にある私の終の棲家は幸いにして,徒歩圏内に2級河川の大津川が流れており何時でも川釣りは可能である。更に大阪湾(太平洋)にも近く,絶好の漁場が沢山あり,今までの経験を生かし,近隣に住む孫達を交えて年に数回は魚釣りを楽しんでいる。
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