本物語
第80号 2024.11.25
里山暮し十五年(後編)
髙木 弥千代
ようやく秋になりました。八月九日(金),当方の橋近に建つ防災白浜の放送で〝南海大地震注意報〟が放送されて,海水浴場の閉鎖,花火大会も中止になり,観光的に大きな打撃を受けましたが,能登地震のように元旦,臨時情報も無く,いきなり巨大地震が起き,九月の台風による豪雨に追い打ちを受けている地域を思うと地震列島に居住していることを,改めて心せねばと痛感します。温暖化の加速は庭の木々の花々にも顕著です。六月の木槿と十月の酔芙蓉が同時に今満開。何かと物思いに耽る秋です。
早一年が過ぎました。昨年九月二日に来浜中の長男と上京しました。昨春,脊柱管狭窄で,通院先の〝はまゆう病院〟医師よりMRI検査を求められていたことと,次男が透析患者で入院先の病院から面談の要請が重なったからでした。幸いにも二件共,当面問題無しとのことで九月十七日に帰浜しました。しかし上京中に左胸脇に痼(しこ)を(り)感じ,乳ガンでは,二十五年前従姉の発症から看取り迄しているので,十月十日に〝はまゆう病院〟の乳腺外科を受診。当日の組織採取で初期と判り,全摘手術を求められました。手術なら28年前にクモ膜下出血を起こしたけれども,その時助けて頂いただき命拾いした,志誠会第二病院(女子医大の同窓会が設立)に決め,十月三十一日に上京。諸検査後,十一月二十七日,朝八時に入院,十時に手術を受けました。経過良好で十二月五日退院。十二月十九日生検の結果,放射線治療は断り,ホルモン剤の服用で経過観察し,以後の治療は〝はまゆう病院〟で行うことにして,十二月二十八日長男と帰浜,二十九日に娘家族も来浜,年末年始は皆揃って過せました。
諸事情から次男が二月十三日から同居しています。次男も透析患者で週三日の通院は欠かせませんが,庭や地域の草刈等は可能で,移住当初から飼い始めたニワトリの世話も。そしてそのニワトリは二羽から六羽に増え,龍神コッコというブランド鶏なので毎日産卵してくれ,時に友人,知人にお福分けも可能です。
また,長男がITの仕事をしているので,アンテナ役をしてくれています。世田谷の長男,広島の娘のとはアレクサで交信可能です。次男にやり方を聞いて少しずつ活用しています。
五月末に二泊三日で私の友人が来泊。六月には次男の友人が夜行バスで早朝着。一日次男とレンタカーで白浜観光をして又夜行バスで帰京しました。七月二十七日に,世田谷区の保育ママをしていた頃0歳から二年ずつ兄弟で計四年,保育園,小学校の時間外受皿役を十年した兄の方が,来春の大学卒業記念にと,友人の車で三人交替運転で昼着。目的は熊野古道を歩き,本宮へ。バス,電車も利用して,新宮,那智の滝の世界遺産巡りをすることでした。昼食後,湧水まで往復したり,清流の渕で泳いだりして夕方六時に出発,帰宅は一日遅れの八月一日夕七時でした。貴重な体験の数々は何よりの経験になったようです。数多い世界遺産の中で歩く遺産が有るのはスペインのサンチャゴ,コンポステーラと熊野古道の二ヶ所のみ。今年は熊野古道が世界遺産になって二十年,地元田辺市は特別の記念行事として,二ヶ所歩いたことの認定がされると認定証と記念品が与えられるとのこと。三人は今サンチャゴを歩いています。今から帰国報告を楽しみにしています。
十月二十一日(月)にはサンチャゴからラインで送られてきたという通知を写真にした多数が母親から送られてきました。ラインどころかケータイさえ持たない超アナログ人間の私には何よりの嬉しい知らせでした。
徒歩500m先に農カフェが十月十八日(金)に開店しました。昨年上京寸前に,地区の説明会が有り,今年夏の開店予定でした。運転も出来ず,自転車にも乗れずの身,歩くことが唯一の移動手段で,移住当初は5km先のクリニック迄往復していました。脊柱管狭窄でその歩くこともあまり出来なくなりましたが,500m先なら可能です。3km先の畑で作っている野菜の有効利用(形の悪い品等),手作りパンの販売が有るとのこと。当面御夫婦のみで金曜日から月曜日迄の週四日の開店とのことですが,大変な働き者で,かなりの藪を二人だけで草刈り,整備。見違えるようになった空間が広がっています。以前の状況を知っている者にはとても嬉しい変化です。
それからまた,読書や投稿で知遇を得た方々との交流,全くの偶然の出会いから始まった御縁の不思議さは今も続いています。山里暮し十五年,こうした様々な多くの人たちとの交流が今の私を支えて下さっていることを実感しているところです。
早一年が過ぎました。昨年九月二日に来浜中の長男と上京しました。昨春,脊柱管狭窄で,通院先の〝はまゆう病院〟医師よりMRI検査を求められていたことと,次男が透析患者で入院先の病院から面談の要請が重なったからでした。幸いにも二件共,当面問題無しとのことで九月十七日に帰浜しました。しかし上京中に左胸脇に痼(しこ)を(り)感じ,乳ガンでは,二十五年前従姉の発症から看取り迄しているので,十月十日に〝はまゆう病院〟の乳腺外科を受診。当日の組織採取で初期と判り,全摘手術を求められました。手術なら28年前にクモ膜下出血を起こしたけれども,その時助けて頂いただき命拾いした,志誠会第二病院(女子医大の同窓会が設立)に決め,十月三十一日に上京。諸検査後,十一月二十七日,朝八時に入院,十時に手術を受けました。経過良好で十二月五日退院。十二月十九日生検の結果,放射線治療は断り,ホルモン剤の服用で経過観察し,以後の治療は〝はまゆう病院〟で行うことにして,十二月二十八日長男と帰浜,二十九日に娘家族も来浜,年末年始は皆揃って過せました。
諸事情から次男が二月十三日から同居しています。次男も透析患者で週三日の通院は欠かせませんが,庭や地域の草刈等は可能で,移住当初から飼い始めたニワトリの世話も。そしてそのニワトリは二羽から六羽に増え,龍神コッコというブランド鶏なので毎日産卵してくれ,時に友人,知人にお福分けも可能です。
また,長男がITの仕事をしているので,アンテナ役をしてくれています。世田谷の長男,広島の娘のとはアレクサで交信可能です。次男にやり方を聞いて少しずつ活用しています。
五月末に二泊三日で私の友人が来泊。六月には次男の友人が夜行バスで早朝着。一日次男とレンタカーで白浜観光をして又夜行バスで帰京しました。七月二十七日に,世田谷区の保育ママをしていた頃0歳から二年ずつ兄弟で計四年,保育園,小学校の時間外受皿役を十年した兄の方が,来春の大学卒業記念にと,友人の車で三人交替運転で昼着。目的は熊野古道を歩き,本宮へ。バス,電車も利用して,新宮,那智の滝の世界遺産巡りをすることでした。昼食後,湧水まで往復したり,清流の渕で泳いだりして夕方六時に出発,帰宅は一日遅れの八月一日夕七時でした。貴重な体験の数々は何よりの経験になったようです。数多い世界遺産の中で歩く遺産が有るのはスペインのサンチャゴ,コンポステーラと熊野古道の二ヶ所のみ。今年は熊野古道が世界遺産になって二十年,地元田辺市は特別の記念行事として,二ヶ所歩いたことの認定がされると認定証と記念品が与えられるとのこと。三人は今サンチャゴを歩いています。今から帰国報告を楽しみにしています。
十月二十一日(月)にはサンチャゴからラインで送られてきたという通知を写真にした多数が母親から送られてきました。ラインどころかケータイさえ持たない超アナログ人間の私には何よりの嬉しい知らせでした。
徒歩500m先に農カフェが十月十八日(金)に開店しました。昨年上京寸前に,地区の説明会が有り,今年夏の開店予定でした。運転も出来ず,自転車にも乗れずの身,歩くことが唯一の移動手段で,移住当初は5km先のクリニック迄往復していました。脊柱管狭窄でその歩くこともあまり出来なくなりましたが,500m先なら可能です。3km先の畑で作っている野菜の有効利用(形の悪い品等),手作りパンの販売が有るとのこと。当面御夫婦のみで金曜日から月曜日迄の週四日の開店とのことですが,大変な働き者で,かなりの藪を二人だけで草刈り,整備。見違えるようになった空間が広がっています。以前の状況を知っている者にはとても嬉しい変化です。
それからまた,読書や投稿で知遇を得た方々との交流,全くの偶然の出会いから始まった御縁の不思議さは今も続いています。山里暮し十五年,こうした様々な多くの人たちとの交流が今の私を支えて下さっていることを実感しているところです。