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本物語

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第80号 2024.11.25

競 走 馬 と 先 輩

伊藤 研二

 私が競馬を知ったのは1965年の社会人なって2年目にN先輩に馬券を買うよう頼まれたのがきっかけです。1964年はシンザンが3冠馬になった年ですが残念ながらその勇姿を知りません。その後競馬は盛んになり第一次競馬ブームが来ます。
 数年後にヒカルイマイという馬が現れます。サラ系という血統で評価は低かったのですがさつき賞を勝ちます。そして第38回東京優駿(ダービー)に望みます。28頭立て,今では考えられない多頭数です。当時ダービーポジションというのがあって第一コーナーを10番手以内で回らないと勝てないと言われていました。ところがこの馬は第1コーナーでは23,24番手,第3コーナーは27番手で回り直線は大外に持ち出して1着入線。田島良保騎手は最年少ダービージョッキーになります。23歳。しかしその後ヒカルイマイは体調をくずして菊花賞には出場出来ませんでした。私はヒカルイマイが大好きでしたので残念です。鹿児島県のニルキング牧場に墓碑があります。
 2,3年後の1967年にはスピードシンボリが現れます。5才で天皇賞を勝ち,7,8歳で有馬記念を連覇して老雄言われ,凱旋門賞にも出走しました。日本の競走馬として初めてのことだと思います。野平佑二とスピードシンボリのコンビは有名となりました。N先輩はスピードシンボリのフアンでした。九州男児ですが気さくな人で私のことを「ちゃん」づけで呼んでくれました。先輩は2010年に70才で惜しくも亡くなりました。先輩のお陰で私も競馬に興味を持つようになったのでした。
 さて1973年になるとハイセイコーブームの到来です。ハイセイコーは競馬を健全娯楽に変えました。女性と子供のフアンが増えたのです。1972年大井競馬場でデビューすると圧倒的な強さで連勝して中央競馬へ。中央で重賞を3連勝し皐月賞を勝ってダービーへ。断然の一番人気となったが,4コーナーで先頭に立つもタケホープにかわされ(この時東京競馬場に悲鳴が上がったという)もう1頭にもかわされて3着になってしまった。けれどもハイセイコー人気は落ちることはなかった。とにかく一生懸命に走る姿に心打たれました。私はハイセイコーが好きです。中京競馬場にハイセイコーが来たときは観衆68,469人の大歓声が上がったそうです。残念ながら私は見に行けませんでした。1974年の有馬記念2着を最後に引退。この時「さらばハイセイコー」の歌が流れました。歌があるのはこの馬ぐらいでしょう。因みにこれまでの最多入場者数は1990年5月27日東京競馬場で行われた第57回東京優駿の196,517人です。1着はアイネスフウジンという「逃げ馬」(スタートからゴールまで先頭を走ろうとする馬)でした。
 O先輩が1973年の有馬記念を当てました。ハイセイコー、タニノチカラ等有力馬が負けて万馬券となったレース。京都生まれの3年先輩で母一人子一人。ある日大阪の家電量販店で欲しかったステレオを買ったのだが電車では運べずタクシーで帰ったら高くて払えず母親に叱られた。京都に帰る時名神高速道路で覆面パトを追い越して捕まった。母親が高齢になったので新築の家で一緒に住もうとしたが「こんな暗い所はお迎えが早いようでいやだ」と3日で帰ってしまった。そんな話をしてくれた先輩は豊田市に住んでいました。京都の住まいは南座の近くらしいので頷けます。私は酒が弱かったのでどうしてそんなに飲めるのか聞いても答えてくれませんでした。忘年会で席が近くだったので見ていたらつがれた酒をお膳の下に隠したどんぶりに溜めているのでした。先輩は5年前亡くなりました。
 そして1977年にはテンポイントの登場。杉本アナウンサーの名調子が印象に残ります。「見てくれこの脚、これが期待のテンポイントだ」第22回有馬記念ではトウショウボーイとの一騎打ちとなり激戦の末に勝利する。年明けの海外遠征に向けた壮行レースで骨折してしまう。ファンの「殺さないでくれ」の声で手術が成功するが蹄葉炎を発症して安楽死。闘病中テンポイントの状況がスポーツ紙に連載されました。ファンに愛された馬でした。北海道の牧場に眠っています。
 第二次の競馬ブーム。オグリキャップの登場。1988年笠松競馬から4歳の時中央競馬へ。しかしクラシックレースには登録がなく出場出来ませんでした。その年の天皇賞2着,有馬記念1着となりました。1990年の有馬記念を勝って引退しました。このレースは武豊騎手の好騎乗が賞賛されました。オグリキャップは勝てないと思われていましたが,武マジックが勝利へ導いたのでした。
 そして現在へ。世界の一流馬と比べても遜色のない馬が続々と現れます。ディープインパクト、オルフェーブル、コントレイル、イクノイックス等が登場する。凱旋門賞でオルフェーブルは2回2着を記録しますが,まだ勝った馬がいません。是非とも日本の馬が凱旋門賞に勝って欲しいと願っています。
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