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本物語

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第80号 2024.11.25

斎藤實記念館,初代館長が語ってくれたこと

小西 忠人

 斎藤實記念館(奥州市水沢区)に隣接する「斎藤子爵水沢文庫図書庫と図書閲覧所」が3年前に国有形文化財に登録されていたという。それを聞きながら斎藤實・春子夫人の話をされた千田敦胤さん(初代館長、故人)が脳裏に浮かんだ。40年も前のことだった。しかしあの時のメモがどこに? そのメモを探すといういつもながらのパターンだったわけだが,千田さんのその話というのは,斎藤實・春子夫人のさりげない日常のひとこまで,それがかえって私には斎藤夫婦の息遣いが伝わるものだった。
 千田さんは,叔父の民司郎氏(斎藤の書生と思うが)の養子になられて以来,斎藤夫婦に接し,特に春子夫人が晩年に水沢の斎藤邸へ移り住んだ時から日ごろ身の回りの世話をされ,昭和46年9月14日,98歳で眠るような臨終に立ち会われている。
 それこそ数十年ぶりだった。今回登録されたそれらを眺め,斎藤が思いやった“遺産”にふれた。レトロな雰囲気を持つ建物は,斎藤が朝鮮総督を退任する折,朝鮮の方々から受けた餞別を「古里の子供たちのために」と昭和7年に建設されたという。建って92年。国登録がやっととの思いもよぎったが,「故郷難忘」としたためた斎藤の信念がゆったりと時を刻んでいるのを改めて感じた。鉄骨鉄筋コンクリート造り2階建ての図書庫に3万8千冊もの図書,資料。そこに隣り合う閲覧所は,図書閲覧を目的
に敷かれたという日本間と洋間―。差し込む日の光り具合が何とも気持ち良かった。
 こうした図書庫と閲覧所を結んでいる斎藤實記念館は,春子夫人の強い思い入れがあったことも知った。「2・26事件」(昭和11年)で軍部テロの標的となって78歳の
人生を閉じた夫に,春子夫人は「斎藤實」が水沢の生んだ偉人として顕彰されていることから,「自分が死亡したのちには旧宅を市に寄付する」と登記。39年3月のことで,45年の3月には夫の遺品も寄贈。一連のその行為が記念館建設を促し,50年に開館した。展示・保管する資料は,明治,大正,昭和と,それぞれの時代の変遷を伝え,中でも,昭和史に刻まれる「あの事件」での血染めの枕,布団,綿入れ,凶弾3個,割れた鏡。その脇には事件当時の記憶を巻紙に綴った春子夫人の手記が並ぶ。
 縁あって斎藤夫婦の姿に接した千田さんだった。その千田さんが民司郎氏の養子として東京で斎藤に会ったのが大正13年春,15歳の少年だったという。「斎藤さんが任地の朝鮮(朝鮮総督時代)へ戻る時に,東京駅の貴賓室に私を呼んで『敦胤君、男という者はいったん志を立てて郷里(くに)を離れたなら,錦を着ないうちは帰るもんでないぞ』と水沢なまりで,こうクギを打たれた」話から始まっている。
 斎藤が言う水沢の「くに」には同じ吉小路に生まれた高野長英と,長英の再従弟の孫に当たる後藤新平という大物が。斎藤の一つ年上の後藤新平と竹馬の友で,同じガキ大将ながら闘将タイプの後藤,対して温厚タイプの斎藤とは“手腕も手法”も好対照だった話が残る。で,千田さんによればこうだった。「高野長英や後藤さんは、どちらかと言うと名刀かカミソリに似ているが、私から見た斎藤さんは普通の刃物で、全くの好々爺の感じがした」。その普通の「刃物」に西郷従道と川上純義の二人の海軍大将(ともに鹿児島県)が,「『東北の水沢から出て来たあの斎藤という若者は,必ず将来エラ者になる』と見ていたという話を、八角三郎海軍中佐(本県)と野村吉三郎海軍大将・外交官(和歌山県)が語っていたのを聞いた」と言うわけだ。アメリカ派遣で培った英語を生かして“国際派”として際立った存在から,提督,朝鮮総督,宰相,内府へと西郷らが「エラ者」と見込んだ通り普通の「刃物」が時代に推されて動き続ける―。
 斎藤の一日の仕事の区切りは,「手紙に目を通した後、ちゃんと返事を書いてから休むという具合で、ある時、叔父が『閣下、もう午前になりますが』と言うと、『あしたがないよ』と言って机から目を離さず、きちんと区切りを付けなければ休もうともしない人で、そう言えば、間違って奥さん宛の手紙を開封したことが二度ほどあって、たとえ隣に奥さんがいても、わざわざ紙に書いて『開封ごめん』とね」(笑い)。
 その春子夫人。鹿児島県の元勲仁礼景紀の長女で東洋英和女学校卒業,18歳で斎藤と結婚。斎藤が将校のピストルで撃たれた時,斎藤の前に立ちはだかり,将校らをいさめたのはあまりにも有名だ。毎日の新聞に欠かさず目を通し,明治の貴婦人らしく優しさの中にも厳しさがにじんでいたという。「奥さんは、斎藤さんを『實』と呼んでおられ、『實が仕事を終えないうちは休みませんでした』といつまでも起きて待っていて、『實が酒を飲みますと能弁になりましてね』と思い出しては笑っておられた」。
 話はそこで終わったが,ともかくも,斎藤夫婦の底知れぬ深さ,人を愛でた―姿を見続けた千田さんの,それを聞けたことに改めて謝したい。記念館前の通路を挟んで二つの胸像が―。そこに広がる静かな風景に立ち止まった私だった。斎藤實が凶弾に倒れてから間もなく90年,そして春子夫人が旅立って55年がたとうとしている―。
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