コンテンツへスキップ

本物語

一覧へ戻る

第80号 2024.11.25

再読,継読,気ままよみ(第1回)

沢田 誠二

 若い頃に感動した本や途中で止めてしまった書物をこのごろ読み返している。
 読み返しは2Fの君と呼んでいる私の連れ合いの聞き手が私一人だけの朗読会,もうひとつは一人だけの暇に任せた気ままよみである。手元の書物はほとんど終わって,今ではもっぱら近くの図書館からの借り出しである。
 この紙幅を幸いとして,読了書物の感想あれこれを綴ってみることにする。

島崎藤村「夜明け前」
 文庫本4冊に及ぶ長編,2Fの君の朗読で4か月以上かかった。明治維新と呼ばれる近代日本の黎明期,幕末から明治までを語る歴史物語の一つであった。表舞台に見栄を張る薩長や土佐,はたまた水戸の志士たちの英雄譚ではなく,都から遠く離れた宿場町から見た世直しへの期待と失望とをないまぜにした古い民謡のような味わいの叙事詩であった。
 主な舞台は畿内と江戸を結ぶ街道,中山道木曽谷の本陣馬籠宿。登場人物はこの宿場を預かる十数代続く旧家で総庄屋当主の青山半蔵および周辺の人々である。幕藩体制の末端を担う宿場当主の半蔵は,国学者平田篤胤の門下生になり王政復古に変革への期待を込めながら,街道を往来する行商人から参勤交代や和宮(かずのみや)下向,長州征伐隊などの大集団,ええじゃないか騒動の旅人の往来に対応し,宿泊から荷駄の管理や輸送のための人足や牛馬手配に奔走する。
 新政府に大きく期待した半蔵であったが,変革の方向は大きく異なっていた。村落の入会地や共有林の開放は叶わず,逆に取り上げられ,取り締まりは幕藩時よりも厳しくなった。当主半蔵の中央へ出る望みも絶たれ,一時馬籠からさえも僻遠と言われた飛騨の神社へ追いやられ,ついには庄屋の身分と地位も取り上げられた。
 後半では半蔵個人及び青山家の凋落をリアルかつ詳細に語る。半蔵は寺子屋風の私塾を開いて一家を支えようとするが,家運の衰退を責められ,隠居させられ,失意し精神を蝕む。ついには青山家初代が寄進建立したという由緒ある寺への放火未遂を起し,村人たちによって狂人として座敷牢に幽閉される。嫁ぐことを拒んでいた長女が世話をしたが狂気は進み死に至り,物語はここで終わる。
 藤村は当初は詩人として「若菜集」を世に出した。多くの恋の歌に交じって「秋風の歌」がある。〝しづかにきたる秋風の 西の海より吹き起り 舞ひたちさわぐ白雲の 飛びて行へも見ゆるかな〟と始まり〝風の行衛を誰か知る〟で終わる長い詩である。詩は西欧文物への憧憬と期待,自国及び東洋を否定しようとしていると理解したものだ。高校の教科書にあってほとんど暗記するまで繰り返し読んだものだ。
 西欧にあこがれた詩人は,やがて物語作家になり「破戒」をはじめ因習にとらわれ呻吟する人々について綴った。「夜明け前」は藤村の言わば集大成である。この大作により作家は時代が引きずってきた過去をはっきりと見極めようとしたのだと思える。
 作品の背景に通奏低音のように流れているのは,風土の厳しさ,権力への恭順と反抗を秘めた民衆の喘ぎ,様々なしがらみや因襲に縛られ隠すことを旨としたうめきである。維新は人びとにこれらからの解放を期待させたが,与えられたのはより強い中央集権であった。作家はその想いを主人公に凝縮させたのだ。
 学生時代の親友が中津川の出で,妻籠と馬籠へは度々案内してくれた。当時の藤村記念館は周囲に和してみすぼらしく,入り口に〝訪問者楽書き帳〟なるものがあったが記入は疎らであった。館内には「千曲川旅情のうた」の墨書掛け軸や「夜明け前」の手書き原稿が並んでいた。書き出しは〝木曽路をすべて山の中である〟とあった。他の部分は幾度も書き込みと削除を重ねているのに,この〝を〟を変えていないのが印象として残り,いずれ作品を読んでみたいと思ったものだ。
 明治維新は一つの革命であったが,どういう革命であったのかについては今もいろいろ議論があるようである。フランス革命のような市民革命であったとは言えないが,宮廷革命であったのか,はたまた為政者間の権力移行にすぎなかったのか。
 数年前に久々に当地を訪れた。脇本陣のあった妻籠街道筋は丁寧に保存され,往時もかくやという佇まいを醸し出していた。初めて訪れた時には荒れ果ててペンペン草が生えていた馬籠は見事な観光地に変わっていた。石畳の坂道はたくさんの国の言葉が飛び交い,五平餅の食べ歩きの人たちがそぞろ歩きしていた。しかし,目玉ともいえる本陣跡の藤村記念館はむしろひっそりとしていた。入り口の看板を若い人たちは〝フジムラ記念館〟と読んでいた。
一覧へ戻る